多くの人は、自分の目標とする場所に対して、自分が持っている能力が低いと感じて、悲しい気持ちになると思う。僕だってそうだ。「こうなりたい」という願望はあるのに、そこに辿り着くまで、果てしない労力が必要に見える。そもそも辿り着けないような気持になることもしばしばである。
「自分に才能があれば」
そんな風に思って、悲しい気持ちをかき消すために、お酒や食事に逃げていないだろうか? いや、そもそも「才能」とは何なのだろうか。そんな疑問を解消するために、僕は本書を手にとった。
■才能の認知
才能とはどのタイミングで生まれるものだろうか。このような疑問を投げかけると多くの人は「遺伝」や「生まれながらの素質」と答える。逆説的に考えると、人の才能は、後天的に身につけるものではないという認識があるということだろう。
では、才能が世間に認知されるタイミングはいつだろうか。
この答えは簡単で、その人が結果を残したタイミングである。つまり、結果を残すことができなければ才能があると世間は認知しない。
このように他者が才能を認知するより前、その人は常に才能があると言われるような人だったのかというと、そうでもない。そこに至るまでには、類まれなる努力をしていることがほとんどだ。しかも闇雲に努力するのではなく、自分が正しく成長できる環境を発見し、自分に合った適切な努力の方法を検討し、継続して取り組み続けているのだ。
仮に同じ努力量で同じ能力値の人がぶつかったとしても、チャンピオンが一人の競技があった場合、どちらかは才能を認められない可能性があるので、そう考えると「運」も大切な要素になるのだろう。
このようにして結果を残した人を見たとき、多くの人は、自身の記憶を改ざんして、その人の過去の行動に対するイメージを才能ある人に寄せようとする。これは脳が一貫した情報を求めるからで、仮に失敗していれば、努力しているけど失敗する人のレッテルを貼ろうとするだろう。
このようにして人の才能の認知は促進されていく。つまり結果を残すことが才能ある人と認知されるために必要な絶対要素になるわけで、この要素の獲得のために適切な環境下で、適切な努力法を知って、努力し続けられる人が、才能ある人への切符を掴んでいるのだ。
■思考停止するな!
才能ある人は絶対に思考停止せずに能動的に行動している。能動的に行動するとは、他者の指示を待つのではなく、常に自分の行動に疑問を持って改善に取り組みながら継続することを指す。
そのために、認知→情動→欲求のプロセスで人が動機付けされることを理解している必要があるだろう。
まずは、正しく自分の力量と目の前の課題を認知すること。そして、それに対して情熱を注ぐこと、注ぎ続けるモチベーションを保つことが大切になる。
これと真逆でうまくいかない代表例が「やればできる」である。この「やればできる」は結果主義で物事を考える代表例である。
結果が才能を作るのであれば考え方としては間違いないのでは、と考える人もいるかもしれない。しかし、これには大きな落とし穴がある。それは、結果が出ないことによってモチベーションを著しく低下させてしまうことだ。
当たり前だが、初めていきなり結果を残す人なんて、ほんの一握り存在するかどうかだ。そんなことも考えずに、やればできると挑戦して、結果が出ないからと努力をやめてしまうのは非常にもったいない。
才能ある人は常に思考する。そして、自分の取り組みのどこが悪かったのかを考えて、改善する。つまり適切に認知して行動に落とし込んでいくのだ。この「どのように取り組むか」を考える人は強い。逆に結果だけを見て、諦めてしまう人は弱い。自分が簡単にできてしまうことを永遠に取り組むことになるので、成長も薄くなってしまう。
■最初は完コピから始めよう
それでは最初の一歩をどのように踏み出せばよいのか?
楽器に挑戦したことがある人なら当然かもしれないが、最初はできる人の動きを完コピする方が楽だ。なぜなら、そこに正解があるからに他ならない。
可能なら動画にして言葉よりも行動を見るよい。なぜなら言葉は人によって解釈が異なるからだ。不確かな言葉で確認するよりは、実際に目で見て行動に取り組める動画の方が楽になる。
ただし、言葉に落とし込んで自分で納得できるようにしたほうがよいだろう。言語化できないということは、それを自分が納得して体得していないということになるからだ。可能な限り抽象化して、それを他人に説明できるレベルになれば、間違いなく、それを体得していると言えるだろう。
このように技術を人からマネしたときに、自分がどうアレンジしていくのかというアイデンティティの検討に入る。それに加えて、マネした段階で自分の癖などが、多少は残るはずで、そこが自分らしさにつながるだろう。
■人によって見える景色は異なる
文化が異なるとモノの見方が異なる。クールジャパンの取り組みが自分たちにとっては意味不明のものでも、外国籍の人からすると驚くようなもので溢れているかもしれない(僕はクールジャパンが好きです)。このように、自分にとって取るに足りない能力でも他人からすると素晴らしい才能かもしれない。これは自分に限らず、周囲の人にも同様のことがいえる。
自分の持ち合わせているものを正しく理解しよう。そして、自分が目指すべき場所や方向性を定めて、その中で努力する自分をメタ認知しよう。メタ認知は、自分自身で行動からフィードバックの流れを実現する。つまり、成長機会を人より多くつくり出すことができる。
だから言い訳のフレームを外して、自分事として目の前の課題を捉えよう。
常にどうやったら解決できるのかを考えることを決して忘れないようにしよう。才能ある人は常に自分の取り組み方に疑問を持っている。
これは、仮説検証力と物事を抽象化して考える力、それを高速で実現する試行錯誤の回数が大切ということに他ならない。この考えを地で理解した人が、才能ある人と呼ばれるチャンスを手にするのだ。