本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

読書のプロフェッショナル目指して邁進中。小説からビジネス書まで取り扱うネタバレありの読書ブログです。読書によって人生を救われたので、僕も色んな人を支えたいと思っています。noteでも記事を投稿しています。https://note.mu/tainaka3101/n/naea90cd07340

獏の檻(道尾秀介)を読んだ感想・書評

貘の檻 (新潮文庫)

貘の檻 (新潮文庫)

 向日葵の咲かない夏を引き合いに出した帯がとても目立っていたので購入した。向日葵の咲かない夏は、僕が一番好きな道尾秀介の作品で、続きを読みたくなる気持ち悪さと驚きの結末が最高だった。文庫本全体を見ても僕がオススメしたくなる作品の一つになる。
 あまり関係ない話が続くので、本書に話を戻そう。本書はある悪夢に囚われた人間が、悪夢や自分が目を背けようとしてきた過去との対峙を描いた作品で、確かに向日葵の咲かない夏のような不気味さがあった。それぞれの人間の独白にも味があって、ミステリーが描き出せる人のエグミを見ることができるだろう。
 ただし夢の描写に懐疑的な視線を向ける人がいるのかもしれないと思った。ファンタジー要素の多いものや示唆的な夢は、あまりにもご都合主義的な見方をされることが(最近特に)多い。夢を使った物語の形がとにかく溢れすぎたからだと思う。その点で本書が描く「薬」と「夢」の関係性を読者かどう受け取るのかは大変興味深い。個人的には面白かった。
 最初に向日葵の咲かない夏が帯に引用されていることを述べたが、僕はこれはやめるべきだったのではないかと考えている。あまりにも向日葵の咲かない夏が面白すぎたからだ。あそこまで強烈な個性を備えた作品を引き合いに出されると読者の見方がそっちに寄ってしまう。そのようなフィルターは不要だし、編集者や広報の方には作品のイメージを無駄に作らせない何かを期待したいと思った。もちろん難しいのは重々承知なのだが。

○読後のおすすめ

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

向日葵の咲かない夏 (新潮文庫)

 何度も本稿で挙がっている僕の大好きな小説だ。驚くべき展開の数々や読後にも考える要素があるものを求める人には、ぜひ手にしていただきたい。

貘の檻 (新潮文庫)

貘の檻 (新潮文庫)

ゼロ〜何もない自分に小さなイチを足していく〜(堀江貴文)を読んだ感想・書評

 かつては時代の寵児と囃された堀江貴文。彼は過去にある後悔の念を抱いているらしい。それは「自分について開示してこなかったこと」である。なぜ、それに対して後悔するのか。逮捕された事に関する後悔ではないのか……。
 堀江貴文が自己開示に対して後悔した理由は、自分が伝えたかったメッセージが、自己開示なしでは何一つ伝わらないと自覚したからだ。堀江貴文は努力をしたことがない。というよりも努力を努力として自覚してこなかった。ただ目の前にある何事かに没頭してきた結果、いくつもの挑戦を成功に導くことができた。だから結果に至るプロセスである努力については語らず、結果についてのみ語ることで、周囲の人間は彼のことを非常に合理的な人間として扱ったらしい。マスコミの報道によって彼を知る僕たちも同様の考えを持っていたのではないだろうか。
 彼は本書で自分がどのように生きてきたのか、努力してきたのかを語ることで、自己開示を図ろうとしている。それは彼が伝えたいメッセージ「小さな経験を積み重ねて、ゼロからイチにすること。何もないゼロの状態で楽をしようとすることは、ゼロに対して掛け算を試みることだから、まずはイチを加える経験を……」と合致していた。
 本書では堀江貴文が様々な努力をしてきたことが明かされている。その中でも印象的なメッセージが下記である。
 経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていく
 確かにそうだ。経過した時間が経験になるのならば、僕たちは特に何かを憂う必要はない。時間の経過が全てを解決してくれるからだ。しかし、時間の経過が解決してくれるものはあっても、全てを解決してくれるという保証は全くない。
 世の中は自分自身への信頼や投資を笑う傾向がある。笑われない人間はどちらかというと周囲から努力することを認められている人ばかりで、その人は既にある基準を超える努力をしていることがほとんどだ。これじゃあ堀江貴文が言うところのゼロからイチを加える経験が抑制されてしまうかもしれない。それでも本当に何か大切なものを追いかけたい人は、その抑制に負けずにイチを加える必要がある。そんな僕たちを勇気づけてくれる堀江貴文の一言で本ブログを締めたい。
失敗なんか怖れる必要はない。僕らにできる失敗なんて、たかがしれている。

○読後のおすすめ

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

ゼロ・トゥ・ワン―君はゼロから何を生み出せるか

 ペイパルマフィアのドンと称されるピーター・ティールの著作。彼は隠された真実に気づき、ゼロにイチを加えることの大切さを説く、世界的な実業家だ。

殺人犯はそこにいる(清水潔)を読んだ感想・書評

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

 桶川ストーカー事件を解決に導いたことでも有名な著者の一作である。実はここ最近話題になっていた「文庫X」の内容が本書であったことも先日明かされた。僕はまんまとその企画に乗せられて購入したわけだが、確かに本書はどんな手段を使ってでも、たくさんの人に届けたい内容を備えた本である。
「北関東連続幼女誘拐殺人事件」と聞くと分からない方でも「足利事件」と聞くと理解を示すことが多いだろう。冤罪事件として世間を大きく賑わせた。一方で冤罪という一事実にばかりフォーカスしていたり、表面的に冤罪について理解している人が多かったりする。何を隠そう僕もその一人だ。その裏にあった事実や問題点については全く知らなかった。そもそも足利事件は、これ一件で完結する事件ではない。
 足利事件で冤罪の可能性を追求し、千葉刑務所にて苦しい日々を耐え抜いていた菅家さんを救い出したメンバーの一人が著者の清水記者である。彼は「日本を動かす」という重要なミッションのもと取材にあたっていたわけだが、冤罪の可能性を説きたかったわけではないという。あくまでも群馬・栃木で発生しているいくつかの事件が連続しているように思えるのに、それぞれの県警が5つの事件を連続して捉えていないことに疑問を抱いていたにすぎなかったようだ。
 それがなぜ足利事件につながるのか。清水記者は5つの事件は連続していると考えたのに、その内の一件でのみ犯人が逮捕されており、解決済とされていることがおかしいと考えたのだ。結果的に警察や科警研の杜撰な操作や事実の捻じ曲げ、隠蔽をたった一人の記者が日本中に発信していくことになる。そこに協力する遺族やかつての目撃者の証言。当たり前なのだが一つ一つがリアルで、頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。どんな小さな声も逃さないで1次情報にぶつかるジャーナリストとしての本当の働きを見た気がする。
 マスコミの働きに疑問を抱く人はたくさんいるだろう。遺族や事件周辺の人に迷惑をかけた挙句、警察が担保していない情報は流さないので、どこもかしこも起こったことをそのまま報じるだけであったりする。そのようなマスコミは清水記者のように情報から背後にある何かを見ようとはしていないのだろうと思う。マスコミとは何ら関係ない仕事をしていてもそうだと思うが、情報をただ流すだけなら人よりもネットの方が優れているのだから、そんなことをする必要なんてないだろう。ピーターティールが著書で述べている「隠れた真実」を探し当てるのにマスコミはとても近い位置にいると思うのだが。
 僕がこの記事を投稿する際に恐れているのは、この記事を読んで「殺人犯はそこにいる」について理解したように勘違いすることである。清水記者が文中でも述べているが、本にして発表されているのは、そこに生きた人間の苦悩や葛藤があり、それを様々な人間が彼のことを信じて述べているからである。このブログだけでは何もわからない。絶対にだ。

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

○読後のおすすめ

奇想、天を動かす (光文社文庫)

奇想、天を動かす (光文社文庫)

 たった一つの事件の背後にある何かを解明しようとする推理小説。社会派ミステリーが大好きだ。誰もが何かを考えさせられる一作だろう。

動機(横山秀夫)を読んだ感想・書評

動機 (文春文庫)

動機 (文春文庫)

 横山秀夫の二作目である本書を読了した。意外だったのは本書の短篇四作における主人公の職業が、表題にもなっている「動機」を除いて、警察官でないことである。僕が今までに読んできた横山秀夫作品は全て主人公が警察官だったので、てっきり本書もそうだと思い込んで読み始めたのだ。もちろん主人公が警察官ではないからといって、彼の書く小説の面白みが消えることはない。突発的に起こる危機の連鎖とそれに伴う心理描写の連続は、この頃から変わらない。もちろん今の横山秀夫のほうが、その特性をより活かしてるとは思うが。
 逆に言えばシチュエーションや職業の違いから、イメージとは違う横山秀夫作品を求めた人には、あまり満足できない作品だったかもしれない。
 僕はどの作品も楽しんで読むことができた。なんとなくだけど想像つく結果の少し上をいってくれる感じが心地よい作品たちだった。個々のキャラがとても活きているのも横山秀夫作品の特徴で、一度彼の作品を読むと、また続けて読みたくなる中毒性に少し困ってしまう。

○読後のおすすめ

第三の時効 (集英社文庫)

第三の時効 (集英社文庫)

僕が一番好きな横山秀夫の小説だ。短編集になっていて、はっと驚く仕掛けや、刑事が見せる人情にほろほろと涙がこぼれ落ちた。

動機 (文春文庫)

動機 (文春文庫)

書きあぐねている人のための小説入門(保坂和志)を読んだ感想・書評

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

 

 

 本書を読めば、千人に二、三人は小説家としてデビューすることが可能だ、と著者の保坂和志は文中で宣言している。「なんだそれぐらいなのか」と思う人もいれば、「それはいささか誇張しすぎではないか」と疑念を抱く人もいるのだろう。僕個人としてはなんだかぼんやりとした数字で、具体的にどうこう思うこともできなかったのだが、本書を読み進めるうちに「なぜ小説家としてデビューできない人がいるのか」そして「小説を書くスタンスについて誤っている人があまりにも多いのではないか(プロの小説家にだってそんな人がいることを僕は本書を通じて確信した)」という考えが生まれた。なるほど世の中にある小説で、例えそれが世に通じるヒット作だとしても「これは面白くない……」と僕が思ったものは保坂和志の言うところの「小説とは」が反映されていないものだった。そう考えると本書は『小説を読む人』に向けても書かれている素晴らしい本だと思う。

 保坂和志曰く、小説とは「何を書くのか」「このやり方で何が書けるのか」を追求するものである。そういうとテーマ性のある小説を書きなさい、と主張しているようであるが、そういうわけではないようだ。むしろ一般的に考えられている小説的なテーマを保坂和志は嫌っているのだろう。ある一つのテーマを決めるのは構わないがそれが悪い影響を与えてしまう可能性もあるからだ。例えば、ある社会的な弱者を描く小説を書いたとして、「この人はここでこうする……。この場面ではこうさせよう……」と決め打ちで小説を書くとする。このような場合、あらかじめ決められたストーリーの枠から登場人物の行動が抜け出せないので、ありふれた小説になってしまうし、予定調和的な行動に終始したどこにでもある物語で終わってしまう。それに社会的弱者は小説内では居場所がしっかりと確保されている存在である。それを面白くさせるには作者の枠を超えた動きが、小説の中で生まれることを期待して、とにかく結末を考えずに書くことを保坂和志は提唱している。保坂和志はこれを運動性と呼び、今までの小説のほとんどにおいて、この主義を曲げたことはないそうだ。確かに僕がつまらないと思った小説の多くは、予定調和的でなんの驚きもなかったうえにキャラクターに面白みがなかった。それはあまりにもプロットやストーリーへの期待が強すぎて、作者がその枠の中でしか思考を練ることができなかったことが、文中に表れていたからなのだと解釈した。

 上述した運動性に期待をかけた書き方は他にも小説として大事なことを作品にもたらすという。それは「細部の表現」だ。人物の言動や風景描写、そしてそれらの連動性によって面白みが表現されるようになる。そもそも小説は文字で細やかに、このような表現をしているから面白いのであって、ただストーリーを追いたいのなら、もっと適切な媒体は他にも存在しているのだと僕は思う。それに未来が決まっているストーリー上での人物の動きは、上述しているように予定調和的に陥りがちで、普通は未来なんて分らないまま過ごしているはずの人間の営みからズレてしまうのだから、面白くなくなるかもしれない(もちろんそこに何らかの仕掛けや、作者が思いつかなかった展開が生まれる可能性はあるし、それを全て否定するわけではない)。やはり細部にこだわって書くために、細かな描写の設定まで執筆時のテーマとして思い描くのはやめた方がいいのだろう。

 このようにしてできあがった小説の読み手が「あのシーンの……」と取り上げることが多々ある。これに対する批判も保坂和志は言及している。小説や哲学書(その他ビジネス書とかも)は一部分だけを抽出して楽しむものではないということだ。登場人物が最後に捻り出した答えは、そこに至る道のりがあったからこそ生まれたものなのだ。もちろんそれを理解して解釈していればいいのだが、それを理解していない人があまりにも多い。ブログの炎上だって似たような現象から生まれていることが多々ある。しっかりと全体を把握する必要があるし、ブログなら単純にソースの確認ぐらいはすべきだと僕も思う。

 これまでに全体と細部の話を盛り込んできて、「結局どっちなの」と呆れかえっている人もいるかもしれないが、これについても保坂和志は直接ではないが言及している。それは「二つの命題からなる重文は両方いっしょに覚えていなければ意味がない」ということだ。『全体を読むことは大事だが、細部をおざなりにしていいわけではない』のだ。一つひとつ事象を細かく分けて問題を考える姿勢は大事だが、屁理屈のようになっている人がいる。様々な環境が連動し合っている世の中で、一つの事象ですべてを語ろうとするのには無理があるのだろう。

 

〇読後のおすすめ本

 

ふくわらい (朝日文庫)

ふくわらい (朝日文庫)

 

  細部の運動性や全体としての主張の強さをしっかりと兼ね備えた一作だと思う。西加奈子は冒頭の一言を考えたらその先が見えていなくても続きを書くらしい。まさに保坂和志の提唱する書き方を体現している小説家だと思う。

 

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)

 

  小説の書き方や文章の書き方に興味がある人なら一度は目を通しておくべき本ではないだろうか。何気なく実践していた文章の書き方や知らなかった文章術に出会うことができるかもしれない。

 

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

書きあぐねている人のための小説入門 (中公文庫)

 

 

 

マドンナ(奥田英朗)を読んだ感想・書評

 

マドンナ (講談社文庫)

マドンナ (講談社文庫)

 

 

 40代会社勤めの男性を描いた短篇を五作盛り込んだ短篇集だ。

 かなりテンポ感の良い文体で、主人公の心理や物語の起伏を味わうことができる。とはいっても、物語中で起きる出来事はかなり日常的に起こりうるものばかりで、話の要約を見ても何が面白いのかは全く伝わらないだろう。奥田英朗自身も小説の良さは(特に現代では)描写だと明言しているのを見たことがある。彼自身が主人公の境遇を思い描くことで、リアルなタッチで笑えるし読後のスッキリ感も確保された素敵な短篇集に仕上がっている。

 上記で笑えるということに言及しているが、小説で笑いをとるのはかなり難しい技術であると把握している。「文字」だけで笑わせることもそうだし、何よりも読者は「縦に文章を読んで、センテンスごとに視点を横にスライドさせる」わけだから、文量は多すぎると平べったい文章だと思われてしまいそうだし、あまりにもワンセンテンスが短いと、薄い文章だと印象付けられてしまう可能性がある。またネタの内容次第でも引かれてしまうかもしれない。奥田英朗は個人的にそこらへんのバランス感覚に優れている小説家だと思う。何か文章で笑いをとりたい人なんかは、一通り奥田英朗の笑える短篇シリーズに手を出してみるといいのでは?

 

〇読後のおすすめ作品

ガール (講談社文庫)

ガール (講談社文庫)

 

  マドンナのテイストで書かれている作品。マドンナが気に入ったなら読むといいかも。

 

イン・ザ・プール (文春文庫)

イン・ザ・プール (文春文庫)

 

  奥田英朗が手掛ける精神科医伊良部シリーズ。二作目の空中ブランコ直木賞を受賞しているので、一作目の本書を読んでみてはいかかがだろうか。文体はマドンナに似ていて、より笑える作品になっていると思う。

 

マドンナ (講談社文庫)

マドンナ (講談社文庫)

 

 

 

 

i(西加奈子)の書評・感想

 

i(アイ)

i(アイ)

 

 

「この世界にアイは存在しません」

 主人公の名前はワイルド曽田アイ。アイという名前をもつ彼女にとっては衝撃的な言葉で物語は幕を開ける。

 西加奈子は冒頭の一文が決まれば文章を書き始めると聞いたことがある。「この世界にアイは存在しません」という一文は、キャッチーで文中にも何度も登場する。この一言はアイを苦しめる言葉になる。アイが考えていたことを一言に凝縮したようなものであると、アイは感じたからだ。そんなアイの考え方はサラバ!の須玖が追い詰められていたものに非常に近い。様々な事件や災害で命を失っていく人間のことを考えすぎて、追い詰められてしまう。もしかしたら読者の方も同様の考えを抱いた経験があるのではないだろうか?「どうして僕じゃなかったのか」「どうして私は免れたのか」

 アイにとっての苦悩は単にその人たちの命を想うことに留まらない。自分自身がシリア出身でありながら、養子として日本人の母と、アメリカ人の父のもとで育っていることから、「自分は戦争などの危険から生かされた」「代わりに死んだ人間がいるのではないか」という強迫観念のようなものに苛まれる。僕には彼女の悩みがわかるようで分からなかった。それは当然のことなのかもしれない。僕はこの本を読むまで、「移民」「養子」といったものを、簡単にとらえすぎていた。なんだか大きな一つの出来事として見ていた。しかし、そこには確かな命が一つひとつあるのだ。そしてそれぞれの境遇を持ち合わせている。僕たちは簡単にマスコミの媒体が伝えるものをそのままに受け入れてしまっているのだと思った。

 西加奈子がどのようなきっかけで本書を執筆しようと思ったのかはわからないが、これだけリアルな小説を書くことは彼女の負担になっただろうと思う。実際の出来事について文中に取り入れたことなんて特に。もしかしたらそれが西加奈子にとって、負担を取り除く行為になっていたのかもしれない(そうだったらいい)。西加奈子の作品には主人公が自分の生き方について考えているものが、多いような印象を受けている。しかし本書は自分の生き方を考えるために、見たこともない他者の命について考え抜いている。きっと読者にも考えの幅を広げるためのきっかけを与えてくれるだろう。

 

bookyomukoto.hatenablog.com

 

 

i(アイ)

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