本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

読書のプロフェッショナル目指して邁進中。小説からビジネス書まで取り扱うネタバレありの読書ブログです。読書によって人生を救われたので、僕も色んな人を支えたいと思っています。noteでも記事を投稿しています。https://note.mu/tainaka3101/n/naea90cd07340

こころ(夏目漱石)を読んだ

こころ (集英社文庫)

こころ (集英社文庫)

 ここ数日、訳有で仕事を休んでいる。1日の軸に据えられている仕事をする必要がなくなると、自分が疲れていたことを実感する反面、何か自分を奮い立たせるものが消えたような感覚も覚えた。何かしなければいけない。そう思い読まずに積んであった本を手に取った。その中に夏目漱石のこころを発見した。僕は本書が大好きだ。高校の授業で取り上げられたことがキッカケだが、それ以来幾度となく読んできた。
 本書の良さはいくつもあると思うが、何よりもその文体が好きだ。文量はある方だし、心理描写に重きをおいているので、内容的にはしつこさが伴ってもおかしくない。それなのにすいすいと読み進めることができるのが、以前から僕は不思議に思っていた。一方でテーマ性をみると、現代でも十分に通用するものばかりだ。人間が持つ寂しさやエゴがこれでもかというぐらいに描かれている。そして何よりも人間が人に冷たさを見せる瞬間や暴力的な行為(実際的な暴力ではなく)を振るう描写にとても共感してしまう。簡単な一言を避けて、相手や自分を窮地に陥らせるような一言を選んでしまうのはなぜなのか。客観的に疑問を抱いても自分がいざその立場になるとその振る舞いをしてしまう。世界を動かしているのはこのようなどうしようもないプライドのようなものなんだと思う。
 そういえば中村文則の銃では武器を持つことや意志以上に、わずかなキッカケが殺しを促すような描写がある。僕はそれにも近しいものを感じた。
銃 (河出文庫)

銃 (河出文庫)

こころ (集英社文庫)

こころ (集英社文庫)

コンビニ人間(村田沙耶香)の書評・感想

 芥川賞を受賞し、アメトーークで取り上げられることで爆発的に人気が加速した「コンビニ人間」を読了した。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

  

 主人公は十六年間、オープン時から同じコンビニで働き続ける女性を主人公として据えている。彼女は幼少期から人と違う感性を備えていたことを悩み、というよりは疑問に感じていた。周囲の人間は直接的に問題を解決しないから、代わりに彼女が請け負うのだが、その行動は周囲から大きくズレた行動だった。そのズレた行動を見た周囲の人間の反応を僕はよく知っている。自分がそれをよく見ては嫌悪してきた過去があるし、自分自身がそのような行動をとっていることもあるのだろう。

 主人公はとても受動的な態度で社会や人と対峙している。だからだろうか、彼女の中に自殺という考えはない。コンビニとの関係が絶たれた後もどうやって過ごしていけばいいのか、自然的に死ぬまでの時間の中身に充てるものがない彼女は悩む。彼女が主体的に関わることができるのはコンビニを媒体としたときだけだ。僕はこの感覚を少しだけど知っている。音楽やスポーツを通して何かを表現することはできても、ステージやピッチを離れた途端に思ったことを口にすることができなくなる。主人公を引いた目で見ている人間たちは媒体に「結婚」や「就職」を選んでいるだけではないか。それは主人公の考えよりもより抽象的だし、大きな流れに身を任せることで安心しているだけにしか思えない。もちろんそれは悪いことではないのだが、主人公の生き方を馬鹿にする権利はないはずだ。助言ならまだよいが、相手の意見や考えを聞いてもいないのに、開口一番で生き方の提言をするような人間を僕は嫌う。自分から望んでいるのならよいではないか。僕はコンビニ人間を肯定する。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

何もかも憂鬱な夜に(中村文則)の書評・感想

 本書を読んで、自分の中にある倫理観や価値観で、「この本の死刑に対する考え方は……」と論を急がないでほしい。僕は本書の価値はそこに留まらないと思うし、中村文則の小説は自分の世界観を広げてくれるところに価値があると判断しているからだ。

 本書には光と影を表す人物や出来事がいくつも出てくる。光を現すのが恵子や施設長だろう。闇は主人公が刑務官として関わる描写や過去との対峙で表出する。面白いのは死刑が待望されている山井を光側で描写しているように思える点だ。ここには中村文則が作中でも言及している『ラベリング効果』に対する意見が強く影響しているのではないかと思う。

 ラベリング効果とは何も犯罪者に対して使われる言葉ではない。例えば鬱病患者に大して、「きみは心が弱いから表舞台は避けたほうがいい」と誰かが言及することで、その患者が「自分は表舞台が合わないのか」と解釈し、その人達の言葉に沿ったような人間に無意識的になろうとしてしまうことを指す。山井はもちろん主人公もこのラベリング効果に悩まされる人間だ。特に主人公は真下の言動や過去の不明瞭な記憶から潜在意識の中で暴力への欲求が高まっていく。

 主人公は山井に大して自分の想いをぶつけ、恵子に対しても「作品への価値」について語る。もちろん人からの意見が作品の善し悪しを決めるのではない、という意見は人間に対しても当てはまる。社会では支持されない意見は、お金を生まないだろうし、その点で言えば主人公の意見とは矛盾する(当たり前だけど作品と仕事上の案件なんかは別物だからだ)。しかし、その考えを作品に持ち込むこと、その作品を支持する人を避難することに繋げることは断じてならない。当たり前の考えだと思うのだけど、僕自身もたまに社会に酔ってしまった結果そのような意見をしてしまうときがある。やはり小説で得られる多様な考えは僕が生きていくうえで、とても大事なものみたいだ。

 

 本書のタイトルは「何もかも憂鬱な夜に」だが、僕は朝がとても苦手で憂鬱な気持ちになる割合は朝のほうがダントツで多い。体が言うことを聞かず、腹痛や吐き気がこみ上げてくることもあった。無駄なぐらいに先読みをしてしまう自分はその後待ち構えている憂鬱な出来事に辟易してしまうのだ(主に仕事だけど)。たまにそのまま立ち上がれない日がある。というか実際にあった。その度に苦しい思いをして、時間をかけて立ちあがっていたのだが、本当に苦しかったときに一度母親に電話をかけたことがある。自分でも驚くぐらい自然に涙が溢れてきた。変なプライドがなくなって、隠していた言葉が次々と口から飛び出した。僕に必要だったのは適度な休息以上に本音を共有できる人間だったのだと思った。今はいくつかの友人が僕にとってそのような存在になってくれている。中村文則は作品の最後で「共に生きよう」と提案する。その言葉の意味を小説や友人との繋がりの中で僕は再確認する。

 

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

 

 

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エッセンシャル思考(グレッグ・マキューン)の書評

 これほど生きるうえでの活力を与えてくれる本が他にあるのだろうか――。

 僕にそう思わせるほど、本書の出来(伝えたいことの明確性)は素晴らしい。今僕が抱えている人生の進路選択に関する悩みも、この本を読むことで好転するように思える。

 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

 僕は上述しているように人生の進路選択に関する悩みを抱えている(進路選択という言葉でぼかしていることをお赦しいただきたい)。数か月前から思い悩んでいたことで、軽口を叩くような感覚で友人に話すことは幾たびもあったのだが、自身のキャラからか笑いをとって流れていくことがほとんどだった。他人の悩みなんて所詮他人事という感覚が友人にあったのかもしれないし、あまりにも自分が相談事の打ち明け方が下手だったのかもしれない。そんなときに僕はまたそれを一人で抱えて悩んでしまった。結果的に体調にも悪影響が出てきたことで更なる悪循環に陥ってしまった。

 本書を読んでいて、自分が本当に大切にしていること、を大切にするために僕の悩みの種はやはり取り除くべきなんだという自信を持てた。その悩みの種を取り除くうえでの障害だって、コミュニティから抜けること(何にも所属がないことは非常に不安感を募らせることに繋がると思う)、僕が好きな人間との関係が絶たれてしまうのではないかという不安、今後自分はどうなるのだろう……といったものだ。よくよく考えれば、人間関係はコミュニティを変えても自身の取り組みで関係を維持できるし、体調を崩してまで、そこに留まる方が今後の自分の危うさを感じるだろう。何よりも自分が最も大切にしていることから離れてしまう結果を辿るよりは、そこで「ノー」と決断することのほうがよっぽど自分にとって価値のある出来事だ。簡単には変われないかもしれない。でも、少しづつ変わっていける確信と行動指針を得ることができた。

 本書に書かれていることをつらつらと書き綴ることはもちろん可能なのだが、それをここに書くことで、自分が体験した「自分の人生を自分のもとに取り戻す感覚」を簡単に体験していただきたくない。なんだか自分が自分で意思決定の選択をしていない感覚から抜け出せない人にはぜひ本書を手に取っていただきたい。

 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

 

海の見える理髪店(荻原浩)の書評

 本書は直木賞受賞作である。装丁の色合いが好きで気が付けば購入していたのだが、買い時と読み時が全く異なる僕の性格ゆえ、なかなか読むことができていなかった。

 

海の見える理髪店

海の見える理髪店

 

  本書を読む以前は、「海の見える理髪店」に関する短篇集だと勘違いしていた。実際は短篇集というのは当たっていたが、内容は様々であった。海の見える理髪店に関する物語は一篇のみであった。

 

 僕が荻原浩の作品から受けるイメージは誠実さだ。真摯に作品や登場人物と向き合っていることを感じさせられる。それぞれの登場人物の心理や言動を少し冗長的であっても描写している。小説だとそれらは邪魔なものとして捉えられることもあると思うのだが、それが人の営みであるのだから可能な限り描写する荻原浩の文章には好感が持てた。一方でそのような描写が続くと読み手は少し飛ばし気味に文章を読み進めてしまう可能性もあると思う。そのバランス感覚は小説家の永遠の課題なのだろう。

 

 さてそれぞれの短篇について述べる前に……本書の短篇作品はかなり結末が見えているものが多い。「遠くから来た手紙」は霊的ともファンタジーともとれる結末に落ち着いているが、それを除くとキレイな落としどころを見つけているな、という印象を受けた。このように記述すると「予定調和的」でよくない小説という印象を与えてしまいそうだが、それが嫌味っぽくさせないのが荻原浩の魅力なのだろう。小説だから全て特異な物語にする必要はないのだ。よくある描写をその人物や環境で描いたときに人の営みが見えてくるのだから。

 

「海の見える理髪店」は終始地の文で二人のやり取りが進んでいく。あくまでも主人公の男性が有名な理髪店の様子を客観的に捉えているように思えるのだが、最後に二人の関係性が見えてきたときに、地の文で描写していることの意味が見えてきた気がする。何とも言えない二人だけのよそよそしさを文章で表現するために、この手法を取り入れたのではないだろうか。またシリアスな場面での緊張感も伝わりやすかった。個人的には最も面白かった作品だ。

 

「時のない時計屋」は珍しい時計を修理するために訪れた男性と時計屋の主人のやり取りが描かれている作品だ。どちらも自分の弱みを少し話したいような、でも見栄を張って生きていきたいような性格が、僅かなやり取りの中にも明確に描写されている。僕自身も弱みを見せて笑いをとったり人と仲良くなるのが好きなのだが、一方でこの部分は触れられたくない、人に良く見せたいという部分がたくさんある。それは誰を対象にするのかでも変わってくると思うのだけど、そのような人のどうしようもない社会的な弱さに触れる作品だった。最後のやり取りなんて非常に皮肉が効いている。

 

「成人式」はすっと胸に入ってくる作品だった。短篇全体を通しても多種多様な作品群の最後の落とし所としても機能していると思う。素直に泣くことができたし、自分がしたいことを貫き通る勇気をもらえた作品だった。(特に自分がいま今後の進退をかけて苦悩していたので)

 

 全短篇作品に言及すると時間がかかるのでやめた。申し訳ない。

 ただ、上述しているように人の営みを各短篇の中でしっかりと描いていると思う。ぜひご一読いただきたい。

 

海の見える理髪店

海の見える理髪店

 

 

聖なる怠け者の冒険(森見登美彦)の書評

 かわいい怪物たちが装丁に描かれている森見登美彦の作品がついに文庫化された。舞台はやはり京都で、ぽんぽこ仮面という狸の怪人が大暴れ? くだらないけど気が付けば次のページをめくってしまう不思議な物語であった。

 

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

 

 

 森見登美彦の作品は二分されると僕は考えている。

「実にくだらない冒険物語」と「怪談的要素を備えている作品」の二つだ。本書は前者の作品群に当てはまるだろう。ただし、以前の森見作品のキャラが出てくることが多々あり、その中の一部のキャラがホラーじみてるので、苦手な僕はいちいちひやりとさせられた。そのせいで最新作の「夜行」にも手が出せていないのである。

 

期間限定!お試し特別版 夜行

期間限定!お試し特別版 夜行

 

 

 さてさて、森見登美彦の良さと言えば、冗長すぎるほどのくだらない表現であると僕は思う。本書でもそれらは抜群に効いている。小説を読んでいるのに、コメディ漫画でも読んでいるようなリアクションをしてしまった。個人的には恩田さん、桃木さんカップルのやり取りに筆者がツッコミを入れる場面が最高に笑えたので、ぜひ読んでいただきたい。

 とにかく面白いということしかコメントできないのだが、最後のシーンで一つだけ気になっていることがあるので、それについて考えたいと思う。読み進めていれば答えは出てくるし、そんなに読まなくとも文脈からいとも簡単に、ぽんぽこ仮面の正体はわかってしまう。そのぽんぽこ仮面が最後のシーンで大群衆の中、自分の想いの丈を叫ぶのだが、これはデビュー作の「太陽の塔」のラストシーンに似ているように思える。森見登美彦はどうしようもない想いを大群衆の中で叫びたいという欲求があるのか。大群衆の中で叫ぶことに最高のカタルシスがあるのではと考えているのか。ちなみに僕は群衆の中で叫びたいようなことがたくさんある。革命とかたいへん変態なことをするわけではないので了承いただけないだろうか。

 

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

聖なる怠け者の冒険 (朝日文庫)

 

 

 

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第29回小説すばる新人賞受賞者が決定 驚きの16歳

 タイトルの通り、小説すばる新人賞の受賞者が決定したようだ。

 急いで小説すばるを購入すると、なんと受賞者は16歳ではないか。大抵の人は自身よりも若い年齢で活躍している人と対峙するとき、「その頃の年齢の自分って何をしていたっけな」と振り返るのではないだろうか。僕も選評や作品を読む前に同様の行為をした。思い返せば16歳の僕は他の誰と大差なく、普通に学校に通っていた。小中学校と不登校の時期があったので、それと比べると安定して学校に行けている自分を評価してあげよう、といったところが他と比べたときに特異なぐらいだ。まあ、とにかく人に誇れるようなスキルや経験を16歳の僕はなんら持ち合わせてはいなかったということだ。

 受賞作「星に願いを、そして手を」を執筆した青羽悠さんはたった一枚のモノクロの写真からでも十分に伝わる若さを備えている。以前に朝井リョウが同様の賞を受賞したわけだが、彼なんかより見た目も年齢も実際に若いわけだから、小説すばるを長年購読している読者なんかは特に驚くのではないだろうか。若い小説が続々と世に出てくれるのはとても嬉しいし、彼らにしか描けない作品を世に送り出してほしいと切に願う。若者の視点や想いを描き切ることが十分な作品の魅力として成り立つことを彼らは証明してくれるだろうから。

 実際の受賞作が途中までではあるものの、掲載されているので読んでみた。確かに選評でも指摘されているとおり、文章は荒い。人称が急激に変化しているように思える場面も何度かあって、疑問を抱きながら読み進めている箇所があった。しかし、所々で訪れる主人公たちが何らかの変化を想い耽る場面でぐっと心が惹かれた。僕自身も世間一般でいう若者で同様の悩みや疑念を抱き続けてきたからに他ならない。それを16歳の彼がしっかりと表現できていることにも驚かされた。文章力はこれからの課題なのかもしれないが、小説に対してのひたむきな想いはあるのだと感じた。正式に本作品が刊行されるのが楽しみである。

 

小説すばる 2016年 12 月号 [雑誌]

小説すばる 2016年 12 月号 [雑誌]

 

 

 

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