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ペンギン・ハイウェイ(森見登美彦)を読了したので、感想や書評[レビュー]

 ペンギン・ハイウェイ森見登美彦)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。

ペンギン・ハイウェイ 角川文庫

ペンギン・ハイウェイ 角川文庫

 

 

 

・あらすじ

ぼくはまだ小学校の四年生だが、もう大人に負けないほどいろいろなことを知っている。毎日きちんとノートを取るし、たくさん本を読むからだ。ある日、ぼくが住む郊外の街に、突然ペンギンたちが現れた。このおかしな事件に歯科医院のお姉さんの不思議な力が関わっていることを知ったぼくは、その謎を研究することにした──。少年が目にする世界は、毎日無限に広がっていく。

 

 個人的には、最近読んだ小説の中でもダントツで面白かった作品です。

 森見登美彦の定番である「京都が舞台」を捨てている一方で、森見登美彦節が各所に活きていて、とても読み応えがありました。特に少年(アオヤマ)の中で生まれる課題とその街に次々と生まれる問題の進展は主人公たちと共に問題解決をしているような、そんな心持ちにさせてくれるワクワク感がありました。ただし、文中に出てくる問題や伏線が全て回収されるわけではないので、そこが気になる人は手をつけない方が良いと思います。その問題の多くは本作の枠を超えたアオヤマ君の課題なので、全てが解決されないのは、ある種当然のことなんです。

 

 私はブログをアウトプットの場として活用しているので、小説を読むことによって得た気づきをこの場で共有することが多いのですが、『ペンギン・ハイウェイ』はその気づきが大変多い作品でした。それらは、「作者の価値観を知る」という言葉におおよそ集約されると思います。

 

 いきなりですが、多世界解釈をご存知ですか?

 多世界解釈とは、量子(素粒子等の目に見えない物質の中でも更に小さなもの)の世界で語られるようになった解釈論で、簡単に言うならば「パラレルワールド」です。私自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり語ることもできませんが、森見登美彦著作を読んでいると多世界解釈を含めた量子の話がちらほらと出てきます(四畳半神話大系など)。より深く読み進めてみたい、と考えておられるのならば、量子論や宇宙、相対性理論について雑学程度に学ぶことをオススメします。

 

 また、多世界解釈論とは話が逸れますが、ウチダ君や妹の死についての考察も個人的に面白いなあと思いました。

 小学生の頃に多くの人が考えたことがある「死」は、答えが出ないうえに、自身をつらい気持ちにさせる恐ろしいものでした。文中で妹が母親の死について考え訳も分からず泣いてしまうシーンは自分も昔に体験した思い出があります。作中ではウチダ君も同様の恐怖を覚え、独自の死生観に関する研究を進めていました。小学生であの結論に至ったウチダ君がすごい存在であると同時に病んでいないか心配になりました(笑)一方で、その人の死について周囲の人は客観的に見ているだけで、確実に死んでいるんだと確認する術がないんだ、というウチダ君の考えには納得できるポイントが詰まっていました。もちろん人間は死に関する条件付けを定着させていますが、ウチダ君が語るそれは、人の意識的な問題であり、客観的に見た肉体的な死ではないのかもしれませんね。これも捉え方によっては多世界解釈論とつながっているかもしれません。

 このように死や複雑な知識をさり気なく持ち出している一方で、森見登美彦は「今を生きること」をとても大切にしているように思えます。

 

 例えば、冒頭のこの一節

 他人に負けるのは恥ずかしいことではないが、昨日の自分に負けるのは恥ずかしいことだ。一日一日、ぼくは世界について学んで、昨日の自分よりもえらくなる。たとえばぼくが大人になるまでは、まだ長い時間がかかる。今日計算してみたら、ぼくが二十歳になるまで、三千と八百八十八日かかることがわかった。そうするとぼくは三千と八百八十八日分えらくなるわけだ。

 

 毎日の努力の重要性に気付かされる文章だと思いました。私も入社式までの日数をカウントダウンすることで、自分にできることをやる環境を自ら作る決意をしました。

 

他にも

 ぼくはお姉さんの横顔を見ているうちに、あの給水塔の丘にある白いマンションに遊びに出かけた日、床で眠ってしまったお姉さんを観察していたときのことを思いだした。ぼくはあの日のこともノートにきちんと記録したし今日のこともノートに記録するだろう。だから、どれだけ未来になっても、こういうふうにお姉さんとすごしたことは克明に思いだせるはずだった。

 でも、そのときのぼくはふと考えたのだけれども、今こうしてお姉さんといっしょにいるということは、お姉さんといっしょにいることを思い出すこととは、ぜんぜんちがうのではないだろうか。お姉さんといっしょに今、このプールサイドにいて、たいへん暑くて、水の音や人の声がうるさくて、そして空にソフトクリームのような入道雲が出ているのを見上げていることと、それらのことをノートに記録した文章をあとから読むことは、ぼくがこれまで考えていたよりも、ずっとちがうのではないかという気がした。たいへんちがうことなのだ。

 そういうふうなことをぼくは思ったのだけれども、その感じをぼくはうまく記録できない。

 

 ノートに記録をとる重要性を教えてくれる主人公のアオヤマ君。しかし、彼は記録とその瞬間にしかない体験が全く違う可能性に気づきます。その瞬間をどれだけ丁寧に記録していても、その瞬間に味わった経験を完璧に呼び起こすことなんて出来ないんです。これって案外忘れられやすいことだと思うんですよね。特に最近はスマホの進化によって記録媒体が常に身近にあるような世界になりました。なんとなく何でも記録する機会が増えたものの、スマホが覚えているだけで本人には大した記憶にもなっていない、なんてことが多々あります。この小説を読むことで「今を生きる」大切さに気づく人が増えればいいなあ、と思います。

 

 ここまでで様々な価値観について触れてきましたが、やっぱりペンギン・ハイウェイの一番の醍醐味はお姉さんとアオヤマ君の関係性に集約されています。

 

 彼女の顔を観察しているうちに、なぜこの人の顔はこういうかたちにできあがったのだろう、だれが決めたのだろうという疑問がぼくの頭に浮かんだ。もちろんぼくは遺伝子が顔のかたちを決めていることを知っている。でもぼくが本当に知りたいのはそういうことではないのだった。ぼくはなぜお姉さんの顔をじっと見ているとうれしい感じがするのか。そして、ぼくがうれしく思うお姉さんの顔がなぜ遺伝子によって何もかも完璧に作られて今そこにあるのだろう、ということがぼくは知りたかったのである。

 

 これ、、、、私も考えたことがありますね(笑)

 こんなことも大人になると考える機会が減ってきますよね、、、

 

 ラストシーンでアオヤマ君がお姉さんに対する自身の想いを述べているシーンは何度読み返しても泣いてしまいます。私の脳裏に淡いオレンジ色の情景が浮かぶのは、その切なさが伝わってきたからだと思います。私は一生読み続ける本に出会えたなあ、と思うものです。

 この本に出てくる様々な問題は原因不明のまま忘れ去られてしまいます。これは、読者も、その答えを知ることができないことを意味しています。しかしこれは、アオヤマ君が将来的に解決すべき問題であり、それはお姉さんとの再会を意味します。そう考えると文中で問題が不明なままエンドを迎えてしまうことも必然なんだろうなあ、と感じました。

○読後のオススメ作品

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

 

  言わずと知れた森見登美彦の代表作品。映画化も決まっている作品で、森見登美彦が好きな人は必ず通る道だと思います。

 

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

 

  狸が主役の物語です。なんだかおかしな出来事の連続に笑ったりハラハラしたりで面白いです。