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サラバ!(西加奈子)を読んだ感想

 久しぶりに全身に鳥肌が立つような物語に触れた気がする。

 西加奈子が物語を紡ぐことに、想いを言葉にすることに、どれだけの時間と情熱をかけてきたのかを全身で感じることができる小説だった。

 

サラバ! 上

サラバ! 上

 

 

 

  本書は上下巻に分かれている。書店で初めて、その二冊を目にしたときには「こんなの読めるのかなあ」とたじろいだ。

 それでも西加奈子の一冊。しかも直木賞受賞作。僕はこの本を手に取るのにとても時間がかかった。一年ぐらい様子見をした気がする。しかも、そこから読むまでに、また時間がかかった。新生活への適応や、他の書籍への興味から、本書のことを気にかけつつも、手に取ることができていなかった。

 

 発売から一年半もの時間をかけて、ついに僕が本書を読もうと決めた理由は単純だ。

「いかにも小説だといえるような、読み終えた僕が今後力強く生きていけるような小説を読みたい」

 そう思ったからだ。本書はそんな僕の願いを叶えてくれる一冊だった(上下巻で二冊か)。やはり西加奈子はすごい。「生きる」というテーマをこれだけの物語にしてしまう小説家がどれだけいるのだろうか。

 

 本書はとある三十代後半の男性の人生の道のりを物語に書き下ろしたものだ。

 一人の人間の半生を描いているのだから、それを読んだ僕が感じたことも多々ある。が、それを全て単調な言葉で書き連ねてもどこか嘘っぽいので一点に絞ってみようと思う。

 僕が本書で一番おもしろいと思った箇所は、「時間」を化物としてとらえたところである。

 ヤコブと歩が、別れの前に出会った謎の白い化物。幼い彼らはそれが何かを知らない。幻のような存在でありながら、二人はそれを見たことを確実に記憶しているのだ。子どもなんてそんなもんだよな、と思いながら読み進めていて、最後にその正体を明かされたときには驚いた。

 それは「時間」だったのだ。「時間」という表現は正しくないのかもしれない。「年月」や「人生の歩み」のようなものなのだろう。

 幼い彼らは、環境の変化によって二人の仲が裂かれるという事実のみを認識していた。しかしその後の二人にどのような変化が訪れるのかまでは、詳細に認識できていない。それは未来なのだから当たり前の話だし、幼い彼らに何が分かるんだという話にもなる。

 しかし、大人になった彼らは「時間」が「それぞれの人生の歩み」がどれだけ重要なものなのかを知っている。だから、二人で再開したときにお互いの会話の中で、その化物が姿を現す予感があったし、化物が彼らを見守ってくれている実感があった。

 

 物語を読んでいると、その化物に対する認識や、(貴子の言う)信じられるものに対する認識がすんなりと入ってくるのだけれど、こうやって文字にしていると何とも曖昧で儚いようなものに思える。

 そんなものがあるのか、という疑念さえ生じてくる。

 だがそれは絶対にある。これだけは断言できる。

 僕が本書を読み進めていたときに思い出したのが、祖母だ。祖母はすでに亡くなっていて、いまさらどうこうできるようなものでもない。歩でいうところの、圷家に近いのだろうか。

 でもそんな祖母が、歩でいうところの「サラバ!」に近い存在なのだ。これは自分の幹だ。自分が絶対に人生の中で大切にしなければならない、信じなければならないと思えたものなのだ。自分知る化物が、今後の自分に「絶対に忘れるな」と語りかけてくる感覚が、読み進めている段階からあった。

 

 今後も社会で、利益を生むために様々な経験をするだろうし、それらは「信じるもの」との関係を隔てていくのかもしれない。だからこそ、僕はこの物語が教えてくれたことを決して忘れないように努めようと思う。

 あと、ハゲたくないなあと思った。

 

サラバ! 上

サラバ! 上

 

 

 

サラバ! 下

サラバ! 下