本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

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きりこについて(西加奈子)の書評

 きりこは、ぶすである。

 そんな衝撃の一文から物語は始まる。「ぶす」という一言は、基準に差はあれど、おおよその人間が同じような価値観を抱いている。それは「アホ」とか「ボケ」とかのように端的に相手を傷つける言葉だ。

 西加奈子は本書の主人公ともいえる、きりこに対して鮮烈なイメージをつくりあげている。「ぶす」という言葉はあくまでもそれらをひとまとめにしたものにすぎない。だがこれは、容れ物にとらわれないで生きるという西加奈子が頻繁に取り上げているテーマに基づいている。

 

  本書には特徴的なキャラクターが数多く登場する。西加奈子の小説には個性的なキャラクターが頻繁に登場するイメージがあったのだが、本書に関しては過去に僕が読んだ西加奈子の小説の中でも特にキャラクターの存在感がある。そしてそれぞれのキャラが悩んでいる。その悩み方は人それぞれで、その悩みを受け入れない、受入れられない人間もたくさんいる。誰が決めたのかもよくわからない基準でその人の悩みを判断して、はねつける行為を僕たちはいつからとってしまうのだろう。西加奈子の小説に倣うのなら、それは幼少期から存在している。一方で大人になることで、その人の悩みを受けいれることもできるのだと実感させられる内容だった。

 

 他にも西加奈子の小説で共通している要素が、①自分の生き方を決めることができるのは自分だけであるということ、②容れ物という考え方、である。

 

 ①について、この考え方をとても上手く表現できているのが「サラバ!」という物語だろう。主人公の男の姉が、何年にも及ぶ苦悩を経て得た答えを弟(主人公)に伝えるシーン、そしてその意味を男が理解するシーンは鳥肌がたった。社会に出て日々の業務に押しつぶされそうになる僕のことを救ってくれたシーンだった。

 本書でもきりこが自分の生き方の舵をとる存在が自分しかいないことに気づくシーンがあるが、これがとてもいい。小説は文章を追うことでその人物と時間を共にすることができる。だからこそ身に沁みてその言葉の意味を実感することができるのだ。そんな小説の良さを実感させられたシーンだった。

 

 ②について、容れ物という考えに囚われる同級生と結果的に容れ物に囚われていた瞬間があることを自覚していたきりこ。僕は他人の目線をとても気にしてしまう性格なので、この辺りはとても考えさせられた。

 僕はこの問題に対して明確な答えを持ち合わせてはいない。だが、周囲の目を気にするからこそ得られることや楽しみもあるんだとは思う。例えばファッションとかサプライズイベントとか。どの部分まで他人の意見を拾うのかを自分が決めて、それを楽しむことや参考にする意識が大切になるんだと思った。