動機(横山秀夫)を読んだ感想・書評
- 作者: 横山秀夫
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/11
- メディア: 文庫
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横山秀夫の二作目である本書を読了した。意外だったのは本書の短篇四作における主人公の職業が、表題にもなっている「動機」を除いて、警察官でないことである。僕が今までに読んできた横山秀夫作品は全て主人公が警察官だったので、てっきり本書もそうだと思い込んで読み始めたのだ。もちろん主人公が警察官ではないからといって、彼の書く小説の面白みが消えることはない。突発的に起こる危機の連鎖とそれに伴う心理描写の連続は、この頃から変わらない。もちろん今の横山秀夫のほうが、その特性をより活かしてるとは思うが。
逆に言えばシチュエーションや職業の違いから、イメージとは違う横山秀夫作品を求めた人には、あまり満足できない作品だったかもしれない。
僕はどの作品も楽しんで読むことができた。なんとなくだけど想像つく結果の少し上をいってくれる感じが心地よい作品たちだった。個々のキャラがとても活きているのも横山秀夫作品の特徴で、一度彼の作品を読むと、また続けて読みたくなる中毒性に少し困ってしまう。
○読後のおすすめ
- 作者: 横山秀夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/03/17
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- 作者: 横山秀夫
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書きあぐねている人のための小説入門(保坂和志)を読んだ感想・書評
本書を読めば、千人に二、三人は小説家としてデビューすることが可能だ、と著者の保坂和志は文中で宣言している。「なんだそれぐらいなのか」と思う人もいれば、「それはいささか誇張しすぎではないか」と疑念を抱く人もいるのだろう。僕個人としてはなんだかぼんやりとした数字で、具体的にどうこう思うこともできなかったのだが、本書を読み進めるうちに「なぜ小説家としてデビューできない人がいるのか」そして「小説を書くスタンスについて誤っている人があまりにも多いのではないか(プロの小説家にだってそんな人がいることを僕は本書を通じて確信した)」という考えが生まれた。なるほど世の中にある小説で、例えそれが世に通じるヒット作だとしても「これは面白くない……」と僕が思ったものは保坂和志の言うところの「小説とは」が反映されていないものだった。そう考えると本書は『小説を読む人』に向けても書かれている素晴らしい本だと思う。
保坂和志曰く、小説とは「何を書くのか」「このやり方で何が書けるのか」を追求するものである。そういうとテーマ性のある小説を書きなさい、と主張しているようであるが、そういうわけではないようだ。むしろ一般的に考えられている小説的なテーマを保坂和志は嫌っているのだろう。ある一つのテーマを決めるのは構わないがそれが悪い影響を与えてしまう可能性もあるからだ。例えば、ある社会的な弱者を描く小説を書いたとして、「この人はここでこうする……。この場面ではこうさせよう……」と決め打ちで小説を書くとする。このような場合、あらかじめ決められたストーリーの枠から登場人物の行動が抜け出せないので、ありふれた小説になってしまうし、予定調和的な行動に終始したどこにでもある物語で終わってしまう。それに社会的弱者は小説内では居場所がしっかりと確保されている存在である。それを面白くさせるには作者の枠を超えた動きが、小説の中で生まれることを期待して、とにかく結末を考えずに書くことを保坂和志は提唱している。保坂和志はこれを運動性と呼び、今までの小説のほとんどにおいて、この主義を曲げたことはないそうだ。確かに僕がつまらないと思った小説の多くは、予定調和的でなんの驚きもなかったうえにキャラクターに面白みがなかった。それはあまりにもプロットやストーリーへの期待が強すぎて、作者がその枠の中でしか思考を練ることができなかったことが、文中に表れていたからなのだと解釈した。
上述した運動性に期待をかけた書き方は他にも小説として大事なことを作品にもたらすという。それは「細部の表現」だ。人物の言動や風景描写、そしてそれらの連動性によって面白みが表現されるようになる。そもそも小説は文字で細やかに、このような表現をしているから面白いのであって、ただストーリーを追いたいのなら、もっと適切な媒体は他にも存在しているのだと僕は思う。それに未来が決まっているストーリー上での人物の動きは、上述しているように予定調和的に陥りがちで、普通は未来なんて分らないまま過ごしているはずの人間の営みからズレてしまうのだから、面白くなくなるかもしれない(もちろんそこに何らかの仕掛けや、作者が思いつかなかった展開が生まれる可能性はあるし、それを全て否定するわけではない)。やはり細部にこだわって書くために、細かな描写の設定まで執筆時のテーマとして思い描くのはやめた方がいいのだろう。
このようにしてできあがった小説の読み手が「あのシーンの……」と取り上げることが多々ある。これに対する批判も保坂和志は言及している。小説や哲学書(その他ビジネス書とかも)は一部分だけを抽出して楽しむものではないということだ。登場人物が最後に捻り出した答えは、そこに至る道のりがあったからこそ生まれたものなのだ。もちろんそれを理解して解釈していればいいのだが、それを理解していない人があまりにも多い。ブログの炎上だって似たような現象から生まれていることが多々ある。しっかりと全体を把握する必要があるし、ブログなら単純にソースの確認ぐらいはすべきだと僕も思う。
これまでに全体と細部の話を盛り込んできて、「結局どっちなの」と呆れかえっている人もいるかもしれないが、これについても保坂和志は直接ではないが言及している。それは「二つの命題からなる重文は両方いっしょに覚えていなければ意味がない」ということだ。『全体を読むことは大事だが、細部をおざなりにしていいわけではない』のだ。一つひとつ事象を細かく分けて問題を考える姿勢は大事だが、屁理屈のようになっている人がいる。様々な環境が連動し合っている世の中で、一つの事象ですべてを語ろうとするのには無理があるのだろう。
〇読後のおすすめ本
細部の運動性や全体としての主張の強さをしっかりと兼ね備えた一作だと思う。西加奈子は冒頭の一言を考えたらその先が見えていなくても続きを書くらしい。まさに保坂和志の提唱する書き方を体現している小説家だと思う。
小説の書き方や文章の書き方に興味がある人なら一度は目を通しておくべき本ではないだろうか。何気なく実践していた文章の書き方や知らなかった文章術に出会うことができるかもしれない。
マドンナ(奥田英朗)を読んだ感想・書評
40代会社勤めの男性を描いた短篇を五作盛り込んだ短篇集だ。
かなりテンポ感の良い文体で、主人公の心理や物語の起伏を味わうことができる。とはいっても、物語中で起きる出来事はかなり日常的に起こりうるものばかりで、話の要約を見ても何が面白いのかは全く伝わらないだろう。奥田英朗自身も小説の良さは(特に現代では)描写だと明言しているのを見たことがある。彼自身が主人公の境遇を思い描くことで、リアルなタッチで笑えるし読後のスッキリ感も確保された素敵な短篇集に仕上がっている。
上記で笑えるということに言及しているが、小説で笑いをとるのはかなり難しい技術であると把握している。「文字」だけで笑わせることもそうだし、何よりも読者は「縦に文章を読んで、センテンスごとに視点を横にスライドさせる」わけだから、文量は多すぎると平べったい文章だと思われてしまいそうだし、あまりにもワンセンテンスが短いと、薄い文章だと印象付けられてしまう可能性がある。またネタの内容次第でも引かれてしまうかもしれない。奥田英朗は個人的にそこらへんのバランス感覚に優れている小説家だと思う。何か文章で笑いをとりたい人なんかは、一通り奥田英朗の笑える短篇シリーズに手を出してみるといいのでは?
〇読後のおすすめ作品
マドンナのテイストで書かれている作品。マドンナが気に入ったなら読むといいかも。
奥田英朗が手掛ける精神科医伊良部シリーズ。二作目の空中ブランコが直木賞を受賞しているので、一作目の本書を読んでみてはいかかがだろうか。文体はマドンナに似ていて、より笑える作品になっていると思う。
i(西加奈子)の書評・感想
「この世界にアイは存在しません」
主人公の名前はワイルド曽田アイ。アイという名前をもつ彼女にとっては衝撃的な言葉で物語は幕を開ける。
西加奈子は冒頭の一文が決まれば文章を書き始めると聞いたことがある。「この世界にアイは存在しません」という一文は、キャッチーで文中にも何度も登場する。この一言はアイを苦しめる言葉になる。アイが考えていたことを一言に凝縮したようなものであると、アイは感じたからだ。そんなアイの考え方はサラバ!の須玖が追い詰められていたものに非常に近い。様々な事件や災害で命を失っていく人間のことを考えすぎて、追い詰められてしまう。もしかしたら読者の方も同様の考えを抱いた経験があるのではないだろうか?「どうして僕じゃなかったのか」「どうして私は免れたのか」
アイにとっての苦悩は単にその人たちの命を想うことに留まらない。自分自身がシリア出身でありながら、養子として日本人の母と、アメリカ人の父のもとで育っていることから、「自分は戦争などの危険から生かされた」「代わりに死んだ人間がいるのではないか」という強迫観念のようなものに苛まれる。僕には彼女の悩みがわかるようで分からなかった。それは当然のことなのかもしれない。僕はこの本を読むまで、「移民」「養子」といったものを、簡単にとらえすぎていた。なんだか大きな一つの出来事として見ていた。しかし、そこには確かな命が一つひとつあるのだ。そしてそれぞれの境遇を持ち合わせている。僕たちは簡単にマスコミの媒体が伝えるものをそのままに受け入れてしまっているのだと思った。
西加奈子がどのようなきっかけで本書を執筆しようと思ったのかはわからないが、これだけリアルな小説を書くことは彼女の負担になっただろうと思う。実際の出来事について文中に取り入れたことなんて特に。もしかしたらそれが西加奈子にとって、負担を取り除く行為になっていたのかもしれない(そうだったらいい)。西加奈子の作品には主人公が自分の生き方について考えているものが、多いような印象を受けている。しかし本書は自分の生き方を考えるために、見たこともない他者の命について考え抜いている。きっと読者にも考えの幅を広げるためのきっかけを与えてくれるだろう。
こころ(夏目漱石)を読んだ
- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1991/02/25
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本書の良さはいくつもあると思うが、何よりもその文体が好きだ。文量はある方だし、心理描写に重きをおいているので、内容的にはしつこさが伴ってもおかしくない。それなのにすいすいと読み進めることができるのが、以前から僕は不思議に思っていた。一方でテーマ性をみると、現代でも十分に通用するものばかりだ。人間が持つ寂しさやエゴがこれでもかというぐらいに描かれている。そして何よりも人間が人に冷たさを見せる瞬間や暴力的な行為(実際的な暴力ではなく)を振るう描写にとても共感してしまう。簡単な一言を避けて、相手や自分を窮地に陥らせるような一言を選んでしまうのはなぜなのか。客観的に疑問を抱いても自分がいざその立場になるとその振る舞いをしてしまう。世界を動かしているのはこのようなどうしようもないプライドのようなものなんだと思う。
そういえば中村文則の銃では武器を持つことや意志以上に、わずかなキッカケが殺しを促すような描写がある。僕はそれにも近しいものを感じた。
- 作者: 中村文則
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/07/05
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- 作者: 夏目漱石
- 出版社/メーカー: 集英社
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コンビニ人間(村田沙耶香)の書評・感想
芥川賞を受賞し、アメトーークで取り上げられることで爆発的に人気が加速した「コンビニ人間」を読了した。
主人公は十六年間、オープン時から同じコンビニで働き続ける女性を主人公として据えている。彼女は幼少期から人と違う感性を備えていたことを悩み、というよりは疑問に感じていた。周囲の人間は直接的に問題を解決しないから、代わりに彼女が請け負うのだが、その行動は周囲から大きくズレた行動だった。そのズレた行動を見た周囲の人間の反応を僕はよく知っている。自分がそれをよく見ては嫌悪してきた過去があるし、自分自身がそのような行動をとっていることもあるのだろう。
主人公はとても受動的な態度で社会や人と対峙している。だからだろうか、彼女の中に自殺という考えはない。コンビニとの関係が絶たれた後もどうやって過ごしていけばいいのか、自然的に死ぬまでの時間の中身に充てるものがない彼女は悩む。彼女が主体的に関わることができるのはコンビニを媒体としたときだけだ。僕はこの感覚を少しだけど知っている。音楽やスポーツを通して何かを表現することはできても、ステージやピッチを離れた途端に思ったことを口にすることができなくなる。主人公を引いた目で見ている人間たちは媒体に「結婚」や「就職」を選んでいるだけではないか。それは主人公の考えよりもより抽象的だし、大きな流れに身を任せることで安心しているだけにしか思えない。もちろんそれは悪いことではないのだが、主人公の生き方を馬鹿にする権利はないはずだ。助言ならまだよいが、相手の意見や考えを聞いてもいないのに、開口一番で生き方の提言をするような人間を僕は嫌う。自分から望んでいるのならよいではないか。僕はコンビニ人間を肯定する。
何もかも憂鬱な夜に(中村文則)の書評・感想
本書を読んで、自分の中にある倫理観や価値観で、「この本の死刑に対する考え方は……」と論を急がないでほしい。僕は本書の価値はそこに留まらないと思うし、中村文則の小説は自分の世界観を広げてくれるところに価値があると判断しているからだ。
本書には光と影を表す人物や出来事がいくつも出てくる。光を現すのが恵子や施設長だろう。闇は主人公が刑務官として関わる描写や過去との対峙で表出する。面白いのは死刑が待望されている山井を光側で描写しているように思える点だ。ここには中村文則が作中でも言及している『ラベリング効果』に対する意見が強く影響しているのではないかと思う。
ラベリング効果とは何も犯罪者に対して使われる言葉ではない。例えば鬱病患者に大して、「きみは心が弱いから表舞台は避けたほうがいい」と誰かが言及することで、その患者が「自分は表舞台が合わないのか」と解釈し、その人達の言葉に沿ったような人間に無意識的になろうとしてしまうことを指す。山井はもちろん主人公もこのラベリング効果に悩まされる人間だ。特に主人公は真下の言動や過去の不明瞭な記憶から潜在意識の中で暴力への欲求が高まっていく。
主人公は山井に大して自分の想いをぶつけ、恵子に対しても「作品への価値」について語る。もちろん人からの意見が作品の善し悪しを決めるのではない、という意見は人間に対しても当てはまる。社会では支持されない意見は、お金を生まないだろうし、その点で言えば主人公の意見とは矛盾する(当たり前だけど作品と仕事上の案件なんかは別物だからだ)。しかし、その考えを作品に持ち込むこと、その作品を支持する人を避難することに繋げることは断じてならない。当たり前の考えだと思うのだけど、僕自身もたまに社会に酔ってしまった結果そのような意見をしてしまうときがある。やはり小説で得られる多様な考えは僕が生きていくうえで、とても大事なものみたいだ。
本書のタイトルは「何もかも憂鬱な夜に」だが、僕は朝がとても苦手で憂鬱な気持ちになる割合は朝のほうがダントツで多い。体が言うことを聞かず、腹痛や吐き気がこみ上げてくることもあった。無駄なぐらいに先読みをしてしまう自分はその後待ち構えている憂鬱な出来事に辟易してしまうのだ(主に仕事だけど)。たまにそのまま立ち上がれない日がある。というか実際にあった。その度に苦しい思いをして、時間をかけて立ちあがっていたのだが、本当に苦しかったときに一度母親に電話をかけたことがある。自分でも驚くぐらい自然に涙が溢れてきた。変なプライドがなくなって、隠していた言葉が次々と口から飛び出した。僕に必要だったのは適度な休息以上に本音を共有できる人間だったのだと思った。今はいくつかの友人が僕にとってそのような存在になってくれている。中村文則は作品の最後で「共に生きよう」と提案する。その言葉の意味を小説や友人との繋がりの中で僕は再確認する。