その中でも以前から障がい者雇用の促進を図り、なおかつ経営的にも成功している、ある企業が注目を集めていました。私も何度か企業名を伺っていたものの、実態について知ってはいませんでした。その日本理科学工業という企業に密着しているのが本書になります。書店の特設コーナーに虹色のチョークの装丁が目を引くように置かれていることで、なんとなく記憶している方もいらっしゃるかと思います。私もそれをきっかけに購入したたちで、冒頭で述べた問題意識から本書に目をつけたわけではありません。結果的にこのような問題意識を自分に持たせたものの、障がい者雇用を強要するような内容に終始しているわけでもありません。ただ日本理科学工業の経営者や、そこで働く障がい者の方々、そしてそのご家族が「働く喜び」や「生きる喜び」について、日本理科学工業という一企業を通じて実感したことを著者に向けて語ったことが記述されています。それは他人に押し付ける言葉ではなく、本当に実感として溢れ出たものなのだと思います。働き方改革によって社会人の働き方には制限が設けられるようになりつつあります。仕事とオフタイムを明確にすることが特に取り上げられています。が、それが本当の働き方改革なのでしょうか? 働き方を変えるには就職への意識や企業の採用・組織編制・経営戦略の在り方から変える必要があるのだと思います。ただ働くだけでは何も得られない時代になりつつあります。勤務時間ではなく、意識から働き方を考えるきっかけが本書にはたくさん眠っていました。
こんな一節があります。
設備の整った施設と手厚い保護。それが障がい者にとって幸福をもたらす条件であり、それそが、”良い福祉”なのだと位置付けていた私は、1階にあるチョークの製造ラインと、いくつもの絵が輝いている窓を持った食堂を訪れ、また彼らの目標という「声」を読んで、そうした思いがいかに「狭い視野」によるものだったかを考えていた。
これは我々の働き方にだって同様に言えることでしょう。ただ時間に区分を持たせたり、給与を与えるだけではダメだと思うのです。
これらの点で日本理科学工業という企業は素晴らしいです。内的にも外的にも優れた考え方を持っている企業です。障がい者を雇用し続けるのは困難なこともあります。例えば日本理科学工はチョークの生産をメイン事業に据えていますが、そのチョークを生産するラインに障がい者を組み込む場合、業務フローには大きな変化がもたらされます。本書でも紹介されていますが、今までは赤色のチョークを作る場合には、Aという原料を〇〇グラムとBという原料を△△グラム混ぜるという決まりを設けていました。しかし、障がい者の方にはその決まりが理解できない場合があるのです。そこで考えられたのが、赤色のチョークを作る場合には二つの決まった計量器(最大〇〇グラムの計量器と△△グラムの計量器)に決まった二つの色の袋から取り出したAとBの材料を各対応する計量器に入れるという方法です。数字による判断が難しいのであれば、数字は計量器を予めそのサイズで作成しておいて、対応する計量器と材料の袋を色分けするというアイデアです。このような柔軟な業務の考え方はどのような職場においても重要だと思います。そんな普遍的な大切さも学ぶことができるのです。
一方で障がい者雇用の難しさを私に感じさせるエピソードもありました。
「障がいのある社員のなかに、天候に左右される人がいることがわかりました。雨だと嫌な気もちになるらしく、すごく気にしていますね。ふだんはあまり天気に触れないのですけれど、休憩時間などに『今日ずっと雨ですか』とか、梅雨入り前には『梅雨入りしますか』とか、気持ちがずっと興奮していて、落ち着きがなくなってきます。雷が鳴ったりしたら大変です。怖くて目をつぶってしまい、手元が見えずに危ないので、『ちゃんと目を開けて作業して』と言わなければならないほどです。ですからその対策として、天候が悪くなってきたら私が窓のブラインドを閉めるようにしています」
佐藤さんは、彼らの不安を少しでも取り除くことができればと心を配っている。
「社員旅行などに行くと、いつもと違うところだと感じて、不安になったり興奮したりするのです。不安になったり、興奮したりするポイントも一人一人違います。そのポイントもわかってくるので、『こういうふうに伝えたら、この人はこう反応するな』と考え、サポートするようになりました」
一人ひとりの特徴をしっかりと把握して働き方に向き合う必要があるのだと痛感しました。一方で、やはりこれもどのようなチームであっても人と働く限りは大切にしなければならない観点なのではないかと思いました。私はシステム開発に携わっていますが、かなり業務がタスク思考に陥りがちです。人は工数をこなす駒のように思われるときもあります。生産性という観点から見るとこれらも大切なのですが、それだけが大切ではないことも意識して取り組む必要があるのだと思います。
最後に私が最も心に響いたと感じる文章を引用して締めたいと思います。幼い頃に自閉症と診断された真士さんをずっと見守り続けた母の裕子さん。日本理科学で生産ラインの主翼を担うまでになった真士さんと裕子さんのやり取りに思わず胸が熱くなった。
「以前、とても早く出かけることがあって『どうしてこんなに早く行くの?』と聞いたことがあるのです。『今は忙しい時期だから早く行くんだ』と言っていました。仕事への責任感を言葉にする真士の姿が嬉しかったです」
時間の感覚や約束を守る感覚に苦労した時代もあった。自閉症的傾向により仕方ないと諦めていた生活時間の遵守は、渾身で取り組める仕事を手に入れたことでなされたのである。
裕子さんがキットパスの製造見学に訪れた際のことだ。働く真士さんが裕子さんに唐突に声を掛けた。その言葉が、今も心で響いている。
「キットパスを作っていた真士が、ふと顔を上げて、私にこう言ったのです。『お母さんの好きな緑だね』と。手には、成形したばかりの鮮やかな緑色のキットパスがありました。私は緑が好きで、何度か真士の前で話したことがあるかもしれません。それを覚えていてくれたばかりか、自らが作る大切なキットパスを見ながら、そう声を発してくれた。それ以上の会話はありませんでしたが、真士の思いやりを感じ、胸がいっぱいになりました。