ここ数か月で東山彰良の小説を数冊読んだ。彼の小説は立体的に迫ってくる。そこに生きている人や、彼らが見る風景が、まるでわたしたちの生きる世界のように飛び出してくるように思えるからだ。登場人物は、一般的な常識のフレームで見ると汚れた体を持っている。ドラッグに溺れたり、誰かを傷つけることで、どうにか世界の中の自分を保っているからだ。しかし、それ故にひたむきに生きようとする澄んだ心の断片が見える。なぜだろうか、物語を通して気が付くと彼らのそんな澄んだ心に自分の思いを託そうとしているのだ。
本書はロックンロールに人生を委ねた一人の人間を追っている。テレビやストリーミングサービスでしか音楽に触れていない人には信じられないかもしれないが、音楽の可能性もしくは自分の持つ音楽性への信頼を糧に継続してバンド活動に励むおじさんはたくさんいる。彼らとライブを共にすれば分かることだが、高水準の技量を持つものがほとんどで、バンド歴の浅い少年からすると、なぜ彼らが泥沼にはまったように身動きがどれないでいるのか不思議に思うかもしれない。主人公も傍から見ればそんなおじさんの一人だったのだろう。
主人公には世の中に自分たちを打ち出すという意地と仲間への信頼がある。そしていくつかの決定的な契機があった。そのような契機は彼の音楽スタイルに変化を与える。ロックンロールという音楽性の基盤にも影響を与え、意地は「女関係で東京進出を逃した」という明確な過去への悔恨となる。一方でそのような「こだわり」を少し柔らかくするだけで今までに手放してきたものがいくつも手に入る。普通の人生を歩む人間が順を追って手に入れた幸せを一度に手元に手繰り寄せるような時間が生まれる。しかし、それらの幸せは次々と主人公から離れていってしまう。愛した女性を失い、共に音楽を愛した仲間が病に臥す。このような瞬間に生まれる最高の音楽は主人公の別れと引き換えに世界に姿を現すのだ。こうやって考えると音楽や文学のような分野の中で生きている人間はとても辛い一面を備えていることを痛感させられる。きっと彼らはそのような職業を選ぶだけあって、鋭敏な感性を備えている、それ故に彼らにしか見えない何かが見えるのだろう。その彼らが見たものを世界に発信して何かを理解してもらうのだとすれば、彼らは常に悲しみの先駆者にならなければならない。少なくとも世界から悲しみがなくなるまで。
主人公はいくつもの悲しみを抱え自分の大切なものを失う恐怖と向き合うことで、旧友とのバンド結成やブルースとの邂逅を果たすことができた。ただぶつけるだけの音楽ではない、表現を凝らした届けるための音楽を生み出す力を得たのだ。
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