コインロッカー・ベイビーズ(村上龍)を読んだ感想・書評
とても重たい小説で読み切るのにとても時間がかかってしまった。非常に文量のある小説であることは、本を手に取った瞬間に分かっていたし、村上龍の文体がこうであることも理解していたのに、なぜか惹きつけられて購入していた。きっと、以前に読んだ「限りなく透明に近いブルー」が原因だ。あの本を読んでいた頃の全く知らないものに出会った感覚をどうしても忘れられなかったのだ。
私は、読むのに時間がかかってしまう本は苦手だ。飽き性で次々と新しいことに興味が出てくるからだと自己分析している。そんな私にとって、この文体と文量は大敵で、何も予定がない休日かつ気が向いた時にしかこの本を読まないと決めていたぐらいだ。僅かな救いは、アネモネ主観の箇所はテンポ感が良くなるところだろう。それがなければ読み切ることはできなかったかもしれない。
このような私の大敵を生みだした要因の一つが、日常的な描写の鮮明さと濃蜜さだろう。普通の小説であれば読み手の休憩時間のように割かれそうな場面であっても驚くような出来事が起こったり人物が登場したりする。例えば、私に読み進める原動力を与えてくれたアネモネの物語をとっても、最初のタクシードライバーとのやり取りやバスの停留所での乗客たちとの会話のように、何も起こらなさそうな場面で、誰かが傷つく出来事が簡単に起こってしまう。誰もが苦しみをカタチにしているようで、小説もそれを受け入れている。それが、どうしようもない倦怠感を生みだしていて、小説内の文字が異様に黒く見えた。
一方で強烈なエネルギーがこの物語には溢れている。二人の主人公は、常に何かの衝動によって生きる力を得ているように思えた。そのエネルギーは常に何かを越えようとするために使われている。彼らは常に自分で自分を追い込み、不明瞭な一線を常に自分の前に設ける。ハシは、その一線を簡単に乗り越えてしまうキクに嫉妬していたのかもしれない。どちらかというと私は、ハシの意見に共感することが多かったかもしれない。客観的に自分の属するコミュニティーや近しい友人を見て、嫉妬し、何かを手に入れようとする衝動が私にも多々あったからだ。そんな彼が音楽の力で聴き手を強く揺さぶっていたのは面白かった。音の受け取り方は、聴き手次第で、全ての人間に同じように聴こえる音楽なんて存在しない。ハシの音楽もしかりで、彼は、彼の音を通して聞き手の経験を呼び起こすのだ。物事の知覚には、その人の経験が大きく関与するのだから、これは当然なのだろうけど、その描写の濃厚さが当たり前のことを新しい形で強く私に訴えかけてきた。
本書の感想を書くのは、全くうまくいかない。考えが渋滞を起こしているのだろうと思う。きっとそれだけたくさんのことをインプットさせることができる小説なのだ。次に読めば全く違う考え方で読むことができるかもしれない。私は、それを楽しみにしようと思う。
○読後のおすすめ
村上龍の代表作。私が読んだ初めての村上龍の小説もこちらになる。最初は、何が起こっているのかも分からなくて、何を原動力にしてこの小説と向き合えばいいのか、皆目検討がつかなかった。しかし、気がついていたら夢中で読み進めていて、最後に身体がすっと軽くなうような不思議な読了感を得た。
スペードの3(朝井リョウ)を読んだ感想・書評
朝井リョウの小説には、人の気持が動く瞬間が鮮明に表現されているような気がする。誰もが抱えている社会で生きていくためのよすがや、対面的な葛藤が生み出す瞬間に朝井リョウの息吹がかかっている。恐らく彼の小説観は、各物語の中に凝縮されている。きっと伝えたい事が物語を動かすタイプの作家なのだと思う。だからだろうか時おり、小説の中にご都合主義的な場面が訪れることがある。しかし、それを抜きにしても登場人物の心が動く瞬間を見ると、読み手の私たちの心もかっと熱くさせられる。
本書は、中篇の小説が三篇収められている。それぞれに繋がりがあって、ちょっとした仕掛けも用意されている。それが明らかになるまでは、読み進める上での活力があまり見つからなかったかもしれない。でも、それが明らかになり、冒頭で述べた瞬間を目撃してからは、一気に本書を読み進めてしまった。
いくつかネタバレに関わりかねないことも述べるがご容赦いただきたい。
「第1章 スペードの3」について。主人公の女性は、ファミリアというファンクラブを束ねる役割を備えた女性で、小学校の頃のエピソードを重ねながら話が展開されている。彼女の人物像は、とても現代的で、大手化粧品会社の子会社で働いていることを誤魔化して本社で働いていると周囲に嘘を言いふらしたり、自分を誇示するように周囲を統率することに喜びを感じたりする。自分の身近にいたよなと共感させられる瞬間もあれば、自分もこのようなことをしてしまっているのではないか、という気持ちに襲われそうになる瞬間もあった。最後に彼女がとった行動は、そこまで大きな一歩とは言えないかもしれない。だが、それがどのような一歩になるのかは、彼女のこれからの行動次第なのだという強い希望に満ちたお話だった。
「ダイヤのエース」では、特別な経験を持たないまま特別な舞台に出てしまっているということに悩まされる女性の話が描かれている。物語中には、彼女と対極的な女性が描かれていて、それがまた葛藤の行方を難しくさせる。しかし、私が思うにそのような人物がそのような葛藤を抱えながら芸能界を生きていくことも一つの葛藤として聴衆には受けるのではないだろうか。しかし、それは彼女の中で許されたものではなかったのかもしれない。だからこそ彼女の脳裏には、そのような思考が生まれなかったのだろう。私の周りを見渡すとお仕事ナルシストがたくさん存在する。それは、自分をよく見せるために仕事の内容を劇的に語ったり、同僚に力添えいただきたいがために自分の仕事の過酷さを劇的に語ったりするものだ。私はこれが嫌いだ。こんな風にプラスαを加えなくても、仕事の内容や結果によって、その人たちやその仕事は評価されると思うからだ。しかし、これを私もやってしまいそうになることがある。というか、これは単に仕事の内容を語っているだけでも、こうなってしまうことがある紙一重のものなのだろう。しかし、それでも私はこれが嫌いだ。自分がこうしたいと思う目的に沿った行動がしたいと思う。その点で、本書の主人公たちは、自分がどうしたいのかという想いを見つけることができている。それが私には羨ましく思うのだ。
○読後のおすすめ
言わずもがな朝井リョウの代表作である。この「何者」というキーワードは、朝井リョウの全作品に共通するようで、若者がどのように自分や周囲の人間と向き合うのかを考えさせる一つのポイントになっている。
個人的に最も面白いと感じた朝井リョウの作品の感想である。
新時代ミュージックビジネス最終広義 新しい地図を手に、音楽とテクノロジーの蜜月の時代を生きる(山口哲一)を読んだ感想・書評
新時代ミュージックビジネス最終講義 新しい地図を手に、音楽とテクノロジーの蜜月時代を生きる!
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山口 哲一 リットーミュージック 2015-09-24
私は、全く音楽業界と関わりがないというわけではない。通勤時間にはウォークマンで音楽を聴いているし、楽器を演奏する趣味もある。もちろん普段訪れるお店に流れている店内BGMやテレビで流れる音楽との接触もある。音楽を意識的に楽しむこともできれば、無意識的に関わることもあるので、私たちの生活から「音」がなくなることを想像できないように「音楽」がない世界も想像できない。
そんな音楽の世界には、今大きな変化が起きている。それは、テクノロジーの進歩による音楽の楽しみ方の変化だ。私は、音楽ビジネスが変化したとは思っていない。あくまでも音楽の楽しみ方がテクノロジーの進歩によって変化し、ビジネスがそれを利用しているのだと考えている。しかし、この変化に適応しきれていない企業が数多く存在している。そう、日本の音楽ビジネスは、大きな戸惑いを見せている。
最近になってやっと各大手レコード会社が、大手IT企業とストリーミングサービス等での連携を見せ始めたが、数年前まではユーチューブ一つをとっても売り上げを低下させる悪しきものとして捉えていたような風潮があったように思う。今でこそユーチューブをマーケティングに活用する企業が増えているが、皆が向かう場所に乗っかっているだけ感は否めない。本書の著者は、このような惨状を「思考停止」と表現した。保守的な人物が固まっているのが音楽業界なんだと認識していた私は、著者の言葉に妙に納得感を覚えた。ただ、守ろうとしているだけではなかったのだな、と。
この保守層の代表格として取り上げられているのがJASRACだろう。私は、勘違いをしていたのだが、音楽の著作権管理をしているのは、JASRACだけではないらしい。また、音楽業界は業界内ルールが強く、契約形態にも風習のような項目が存在しているらしい。著作権管理をJASRAC以外にも求めたのは、少しでも風通しを良くするためのアイデアだったのかもしれない。
私は、このJASRACのような著作権管理団体を良く思っていなかった。権利を片手にお金を搾り取ろうとする集団のように映っていたからだ。しかし、ビジネスという視点で考えるとこのような組織が一つあるのとないのとではお金の流れがあまりにも悪くなることに気づく。一手に管理を担う存在は、ビジネス起案者からすると、そこに話をもちかければ良いので非常に話が早い。一方で、著作権や著作人格権のような法律によって、それだけでは話が進まない部分もある。そこらへんの不明瞭さがなくなれば、もっと音楽ビジネスは増えると思う。音楽はなくてはならないもので、誰もが興味を持つ領域なのだから。
A(中村文則)を読んだ感想・書評
とても不思議な短編集だと思った。書いてあることは要素単位で見れば納得できることや私の思考を新しい場所へ誘うものがあるのだが、それぞれの短篇を全体で見たときに結局のところこのお話が何を表現していたのかが全く分からないようになっていたからだ。それでも私は本書を貪るように読んだ。各短篇が読みやすいサイズに収まっていることも影響しているのかもしれない。得体の知れない恐怖や興味を抱きながら、欲求のままに文字を追っていると、突然物語は終わりを迎える。私は、小学校の頃に読んだ本はこのように突然終わりの迎えるような短くいものが多かったことを思い出した。そして、このような物語は、人の創造性に大きく寄与するのだと思った。実際に本書を読んだ私は、色々な思いやそれらを表現する言葉が自然に溢れてくる感覚を味わった。私の能力が低いことでそれをブログに全て表現するのが困難であるのが残念だ。
さて、全ての内容に触れていると、さすがにひとつの記事では足りない。そんなことをしたら、あまりにもくどい記事ができてしまう。だから、断片的に思いついたことを思いついたまま書き連ねていきたいと思う。
本書の中で何度も表現されているのが、罪を犯す瞬間やそのラインである。無意識のまま手をかけようとしたものや自分の中の倫理観に相手をはめ込むタイプの人間、集団的な真理の中に埋没していくことで罪を犯す人間……。私は、罪を犯すことなく人生を終えることはできないと思う(小説内にあった問いかけから考えている)。なぜなら罪を犯さないと自分の中で規範が形作られないからだ。もちろんここで言う罪とは、犯罪だけを指しているわけではない。各人の中に存在する罪の領域を指している。このような罪は、行動した瞬間には大した意味を持たないものもあるのではないだろうか。それが周囲の目線や未来の自分が振り返ったときの思考レベルで行いが罪になる。そんなことが多々あると思う。だから一度も罪を犯すことなく人生を終えることなんてできない気がする。少なくとも自責的な念にとらわれやすい私は、そう思った。
このように罪の意識を考えさせるキャラは、中村文則の真骨頂だ。しかし、他にも面白いキャラがたくさん登場している。中でも最も興味深いのは、何度も登場する小説家の男である。最初は、いかにもキャラクター地味た男で、あくまでも小説の中の登場人物に過ぎないように思えるのだが、「二年前のこと」に搭乗する小説家は、中村文則が主人公であるように思える。というか、そもそもこれ自体が小説というよりはエッセイのようで、事実の中に小説が形作られているような印象を私に与えた。だからだろうか、とある女性の死と小説を書くことの関連や苦悩がよく伝わってきた。これだけの分量で小説を書く上での覚悟や想いを伝えることができる中村文則を私は羨ましく思った。
一方で、毛色の違うぶっ飛んだ内容の短篇も収められている。私は中村文則の小説にそのような印象は全く持っていなかったので、思わず笑ってしまった。興味のある人はぜひ読んでみてほしい。
○読後のおすすめ
私が最も好きな中村文則の長編小説だ。透明感のある少女と主人公の邪の家系。自ら悪を創り出す人間の言葉に得体の知れない恐怖や力強さがあって、強く惹きつけられた。
大江健三郎賞を受賞し、世界でも人気のある作品だ。中村文則を最初に読むのであれば、とても読みやすくおすすめできる作品だと思う。
静かな炎天(若竹七海)を読んだ感想・書評
本書は「このミス」で第二位にランクインした一冊で、かくいう私も取り上げられている記事を読んでいるうちに興味がわいて読むことを決めた。
初見で表紙を見たときには、かなり錆びれた探偵が難事件に立ち向かうハードボイルド小説であることを予感していたのだが、読み始めると、主人公は女性探偵で、表紙のイメージとはかけ離れている。事件も気が付けば解決されているというような感覚があって、恐ろしい出来事が恐ろしい雰囲気を発していない。なんというか、この気が付けば解決されているという部分が個人的にはとても重要で、普通のミステリー小説は事件の後に大きなきっかけがあって、事態が急速に進展を迎えるのがほとんどだと思うのだが、本書ではそれがほとんどないように思える。全く事件を解決しようとしていないわけではないし(むしろ積極的に解決の方策を探っている)、事件の解決に近づく大きな証拠も見つかる。それでも事態は緩やかな文面の上で流れていて、心地よいテンポ感でお話は幕を閉じる。これは、いわゆる王道のミステリー小説を求めている読者にはいささか期待外れになってしまうかもしれない。だからといってミステリーにつきものの人の死を伴う苦しい場面が全くないわけではないし、あまりにも急な嫌な幕引きが訪れる短篇もある。そのような物語の線表の上にあるのに、気がつけば軽いタッチの文体でスラスラと読めている感覚が本書の良さとしてあるのだ。私としては、この感覚がとても新鮮で、また著者の小説を読んでみたいと思わせた。
○読後のおすすめ
このミスのエントリー作品といえばこれが一番に浮かぶ。好きな小説トップ10に入るぐらい何度も読み返している作品で、読みやすい文体と惹きつけられるストーリーは、僕を惹きつけ続ける。
最後の医者は桜を見上げて君を想う(二宮敦人)を読んだ感想・書評
一時期、エンドコーナーに平積みになっている本書を様々な書店で見かけた。現代的で惹かれやすいタイトルと桜が描かれた装丁に何度も目が移った記憶がある。僕は何度も手を伸ばしかけたのだけど、当時は僕の好きな作家の作品がいくつも文庫化されだした頃で、結局購入する機会は一度もなかった。
それから三ヶ月後、本書を読み終えた職場の先輩からおすすめされてついに本書を手に取った。
本書は、タイトルに記載があるとおり病院を舞台にした医療モノの小説である。繋がりのある中篇が三作収められていて、ページ数のわりにスラスラと読むことができた。三人称で書かれているが、それぞれで焦点が当てられている人物がいて、彼らの心理は文中にしっかりと描かれている。医療モノは、難しい医療用語と登場人物の心理描写の書き方が難しい。一人称にすると難しい言葉か、逆に簡単な言葉で埋まってしまうかもしれないし、三人称にするとキャラとの距離が遠くなってしまうかもしれない。そのバランスが難しい。そう思いながら読む時間もあった。
正直に言ってしまうと文章自体はさして上手いと思わない。だが、この作品に込めた思いや、キャラを活かそうとする意欲は強く感じることができた。だからこそ、本書を読んだ多くの人に何かを伝えることができているのではないだろうか。
僕は本書に出てくるような命に関わる病気を患ったことがない。だからだろうか。逆に、今の自分が本当に健康なのだろうかと不安に思ってしまった。そして、自分はこうなったときに、もしくは周囲の人がこうなってしまったときに何ができるのだろうかと考えさせられてしまった。これが作者の狙いの一つであることは明白だが、僕は嬉しいような寂しような形容し難い気持ちになっている。以前よりも健康に気を使いつつ、周囲の人との関係も大切にしながら、自分のやりたいことに時間を裂く本当の自分のための時間の作り方を考えなければならならいのだろう。そんな生き方をしたいと思った。
○読後のおすすめ
自分らしく生きることを考えると本書のことが頭を過る。読みやすい文体と笑いのエッセンスが込められた文体に惹かれて読んでいても最後には熱い想いが込み上げてくる。そんな小説だ。
いつか、すべての子供たちに(ウェンディ・コップ)を読んだ感想・書評
いつか、すべての子供たちに――「ティーチ・フォー・アメリカ」とそこで私が学んだこと
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ウェンディ コップ,Wendy Kopp 英治出版 2009-04-07
大学生の終盤、私が就活をしていて出会った尊敬すべきビジネスマンがいた。彼はとあるベンチャー企業で働いていて、情熱とそれを成す力を持っていた。一学生である私にビジネスマンとしての力量が見極められるのか。そう思う方もいらっしゃるのかもしれない。しかし、当時の私にはそれが明確にわかった。本当に優れた力を持つビジネスマンは誰に対しても特異なオーラを放っているものなのだと思う。ワールドクラスのスポーツ選手のプレイが、世界中の視聴者の目を惹くように。
彼は世界に誇れる日本のシステムを構築することに情熱を注いでいた。システムというとIT技術を駆使したサービスが真っ先に頭に浮かぶ。しかし、彼が考えていたのは、どちらかというとビジネスモデルのようなシステマチックな人の動きを指していた。そして彼がそのシステムのモデルとしていたのが、ティーチフォーアメリカ(TFA)だった。
TFAについては、ネットでも調べることができるので、詳細を知りたい方はぜひ検索してみてほしい。私が興味を持った部分は、まさしくそのシステムにある。つまり、アメリカの教育問題を解決しながら、そこに携わる大学生に圧倒的なリーダー経験を与え、教育会や有名企業への就職を可能としたそれだ。私が就活で出会った彼もこの仕組に憧れを抱いていた。そんなTFA発足に関する一冊が本書になる。華やかな部分ばかりを見てきたけれど、やはりその裏側は泥臭かった。
まず、NPOにしたって企業にしたって、同じ意志を持った仲間を集めることで目的を達成しようとする人が多いだろう。しかし、同じ意志を持った人を単に集めるだけでは目的を達することはできないのだ。企業では、それだけで人を雇うことはないだろう。求めている職種に関する知識や技術を必ず問われる。しかし、NPO団体ではスキル以上に気持ちの面が強く求められやすい。するとTFAのように規模が大きく、かつその中でも優れた力が求められる団体では、不適任な職に就く者や力が足りない者が出てきてしまう。また、マネジメントを行うものがそれらの知識を有しているかも分からない。TFAでは、まさしくその状態に陥ってしまったのだ。やはり組織の運営とは難しい。
マネジメントの経験不足だけではない。資金不足も大きな課題となって日々彼女らの行く手を阻んだようだ。NPO団体なので資金の提供源の確保がとても重要になる。しかも彼女らは、アメリカの広範囲でこのサービスを開始しようとした。アントレプレナーのような「小規模から始める」思考は、TFAにはなかった。それゆえにそれらを支える資金が切実に求められた。それらの描写はあまりにもリアルで、自分たちが起業などの経験をすれば、どれだけユーザのためを思ったとしても、このような場面に出会う可能性があるのだろうなと考えさせられた。そのときに私たちは周囲の仲間をちゃんと認識できるだろうか。イライラを隠せずに無駄にあたったりしないだろうか。目の前のお金にばかり目がいかないだろうか。こんなことに手を出さなければよかったと後悔しないだろうか。そんなことを考えながら読んでいると以下の文章が目に入った。とても気持ちのこもった文章だ。
ここまでの何年かで私が行った選択に関しては、あまり後悔することはできない。当時の私が私であったことからは逃げられないし、そのときの経験があったからこそ、いまの私なのだ。仮に、新しいアイデアを実行に移す前に資金を確保する必要があると当時から認識していたとしたら、そもそもティーチ。フォー・アメリカは誕生していなかっただろう。
反省はしてもいい。でも、最初に思った根本的な欲求や思いは、決して忘れないようにしたい。そう思わせる文章だ。
○読後のおすすめ
ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか
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ピーター・ティール,ブレイク・マスターズ NHK出版 2014-09-25
起業について圧倒的な熱を感じる本といえばこちらだろう。ピーター・ティールが、本気で世界を変えるために起業や投資をしていることを感じ取ることができる。この熱量は、本書のものと非常に近しいと思った。