本書を読み終えると、私は、流れ行く世界、国、街、家族、人の心について考えさせられた。それぞれの視点によって物語の受け取り方が異なるように、戦争の考え方にも様々な捉え方が存在する。著者は、戦争についてあまり多くを語らない、一方で末端の戦士たちは、複雑な理念のもとで戦争をしていなかったという事実について、何度か小説の中で語っているように思える。私はあまりにも若く、戦争についても義務教育を超えた知識を持ち合わせていない。しかし、この考えを会社組織に置き換えてみるとスッキリする。末端の作業者は自分の作業が何に寄与しているのか知らない場合が数多く存在する。そこには個人の生活への働きが強く反映されている。このような生活ファーストの働き方に近しい考えはあったのではないだろうか。ただ、本書にも何度か登場する親しい人の親しい人だから助けるという仁侠の考えが、今の社会からは薄くなってしまっているかもしれない。私はそれを羨ましく思った。
ガラッと話を変える(※ネタバレします)。宇文叔父さんについてである。彼は一家抹殺という目的のために自分の人生を投げ売った。自分の大切な家族があまりにも無残な殺され方をしたことがその理由だ。あまりにも長い時間を要したことで彼の周りでも様々な変化があった。その一つが彼が家族に溶け込んだことである。彼は一人の家族として、本来抹殺すべき家族の人たちに迎えられる。彼の中で目的遂行に躊躇いが生じたことは想像に難くない。結果的に祖父を彼は殺し、後悔ないことを秋生に語る。それだけの強い念を抱いていたのだ。私にはその念の強さが想像できなかった。あまりにも平和的な世界で生きているからだろう。幼いころは不意に母がいずれ死ぬことを知って、未来の死因に何の意味もない怒りを発していたぐらいだが、それなりに生きて、それなりにこの国が平和であることを知ってしまった。周りの大切な人が、自分の目の前で殺されたときにどれぐらいの怒りが沸き上がるのか、想像することもできなくなってしまった。それはそれで心に余計な負担がかからない良いことだとは思うのだが――。
一人の人間の死が世界を変えるような大きなうねりを生み出す可能性は限りなく低い。世界の注目を集めるような死に方をしたか、もしくは世界の注目を集めるような人物であったのかどうかが結果を左右する。しかし、その人の周りの環境を大きく変えることは間違いないと思う。秋生やその周りの人間を見ているとそう考えさせられる。
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