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許せないという病(片田珠美)を読んだ感想や書評[レビュー]

 誰にでも許せないと思うことがあるのではないだろうか。

 それはつい最近のことなのかもしれないし、何十年も前のことなのかもしれない。それは自然災害によって生じた感情なのかもしれないし、人の行為によって生じた感情なのかもしれない。

 僕にもそのような感情が胸の内に存在している。どうにかして隠そうと思っても、それはふとした瞬間に僕の思考を支配する。僕の脳裏には暗闇のような景色が浮かぶこともあるし、具体的な人の顔が浮かぶこともある。時にはそのシチュエーションが鮮明に思い起こされることもある。

 この瞬間の煩わしさは類を見ない。また、うじうじとこんな感情を抱いてしまう自分が一番煩わしいし、面倒くさい。だからこそ、僕はこの本を手に取ったんだと思う。

 

許せないという病 (扶桑社新書)

許せないという病 (扶桑社新書)

 

 ○目次

第一章 他人を許せなくて悩んでいる人たち

第二章 なぜ「許せない」のか?

第三章 「許せない」を引きずる人の特徴

第四章 「許せない」という病から抜け出すための四つのステップ

第五章 「許せない」自分を許すために

 

 本書は病理的に「許せない」という感情を説いている本だと思う。

 このような問題では基本的に二つの解決法モデルを援助者はもつ。問題解決モデルと病理モデルだ。

 問題解決モデルでは、その問題が発生した原因を追求することはほとんどない。ビジネスマンには信じられないような話だろう。だが、実際の社会の問題で原因の解明と解決が必ずしも問題の解決に繋がるかは不明なのだからしょうがない。これは何かのモノを売るとか、生産効率を上げるとか、そういう類の話ではないのだ。原因も問題も複雑に相互しあう人間社会で起きる問題なのだ。(もちろんビジネスの問題も複雑ではあるのですが、その性質が違う)

 一方で後者の病理モデルはフロイト精神分析的な考え方に影響された人たちの提唱するモデルだ。何事にも科学的な原因が存在するという考え方に基づく。

 現代社会の潮流はこちらに傾いているような気がするが、専門家からすれば、こちらはあくまでも教養といったところだろうか。なぜなら先述したように原因の追求が解決に繋がるとは断定できないからだ。あくまでも教養として備えておくことで、いかなる問題にも対応できるようにしておくためのものだ。

 

 しかし本書は後者のモデルを中心とした構成となっている。

 それは著者が医者であるから、そして世間の目が病理的に何かを判断することに傾いているからではないだろうか。

 著者の考え方自体は実はそれほど病理的な解決を好んでいないように思える。フロイトや哲学者の言葉で論理付をして、説得力を増すために色んな「許せない」原因を述べているが、著者が一番大切にしているのは患者や読者が心の平穏を取り戻すことである。そのためにどういう努力をすればいいのか、その方法を説くことを最も大切にしているようだ。

 その過程でステレオタイプにハマったような例も出てくるが、それはあくまでも例として読者に意見を求める必要があるためであり、仕方ない。

 世間の目は抽象的な出来事を好まない。分かりやすい極端な例で示される事を好む。そして、何らかの問題にも原因が必ずあることを好む。テレビや本で解決されない問題があれば落ち着かなくなるからである。いつ自分にそのような問題が降りかかってくるのか予測のつきようもない。だから人は病理モデルに偏る。安心を求める心があるからだ。

 だけど、そのような心理を持つ人ほど、実は許せないという病に陥りやすいのではないだろうかとも思う。何かの型に収めようとする人は自分の感情や他人の言動も同様の型に収めようとするのではないだろうか。それこそ、「許さないといけないと思う人」、「許すことには和解が含まれていると思う人」、、、のような本書で挙げられているなかなか許せない人の例に当てはまる。興味の沸いた人にはぜひ読んでみてほしい。

 だが、一番危険なのはこのブログや本書を読んで、「そんな人がいるのか」とか「俺には関係ない」と安易に片付ける人間なのかもしれない。

 

許せないという病 (扶桑社新書)

許せないという病 (扶桑社新書)