色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹) 読みやすい村上春樹の小説から学ぶ[レビュー]
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。
※ネタバレを含む可能性があります
本書は村上春樹っぽさが溢れている文章である反面、突拍子もないように思える展開なんかは無くて、非常に小さな世界の人間を描いているように思えました。1Q84の世界観についていけなかった、とうような人はこちらを手にとってみることをオススメします。
本書で村上春樹が伝えたかったことは文中に表現されているものの、様々なことが表現されているが故に、最終的にぼんやりとしてしまった、なんて方も多いのでは?
私も全てを拾い集めて投稿するようなブログスタイルをとっていないので、ここでは思いつくままに感じたことを述べていきたいと思います。
まずは「死」について。
本書自体がこのテーマから始まっています。村上春樹の興味としてこのテーマが存在していたのはもちろん。東日本大震災による文章への影響が大きかったのだと捉えることができます。映画でしか見たことがないような津波が日本を襲う光景はテレビを通して世界中に配信されました。その映像を通して、そして実際にその場に居合わせることで唐突な死と向き合った人々。彼らに対して村上春樹はとにかく生きることを提案します。というよりも、自身の意思表示なのかもしれませんが。
作家って社会の出来事にピントをあわせることが多い分、出来事に感化されやすいんだと思うんです。村上春樹がどのような人物か、その詳細は分かりませんが、彼自身も精神的にかなり参ったのかな、と私は思いました。そしてそれを共に乗り越えるための言葉をクロが口にしてくれているんじゃないかな、と。
多崎つくるは唐突なグループからの追放を経験し、ひたすら死について考える時間を持ちました。その他には何に対しても気力をもてないとうのは犯罪被害者の心理なんかをうまく反映していてとてもいいと思いました。そして彼はそこから十年以上もの時間をかけてその出来事を完全に受け入れます。時間を味方につけることは大事なのかもしれない。それは同時に物事を受け入れるための時を待つ精神力を身につける作業なのかもしれないですね。
次に情報の断片性について。
本書では何事に対しても断片的な情報ばかりが存在しているように思えます。それをなんだかぼんやりと見ている多崎つくる。彼は少しのきっかけでその情報の真偽を確かめるために行動します。そして見えてくることが多数あった。一方で見えてこないことも多数あった。緑川の話や、白の死因。結末では明確に描かれていない沙羅の隣にいた男性の正体。それらは全て頭のなかで補完することしかつくるにはできません。そして、それでつくるは納得するようになる。いくつか与えられた情報に対しては自分で想像するしかない部分が多分にあるんだ、と感じさせられました。もしかすると、これも東日本大震災で亡くなったのかどうか、どのように死んだのかが分からない人物について考えることから生まれたテーマなのかもしれないですね。
最後につくるの個性について。
彼はとにかく自分には色がないんだと悩みます。そんな彼には個性があると伝える周囲の人物。この構図は思春期に多くの人が体験するそれなのでは?
また、色彩がないことも一つの個性なんだと本書では伝えています。オーソドックスな展開ですが、魅力的な物語を通じて人の心にすっと浸透していくのではないでしょうか。彼には個性がある。沙羅は彼に会うまでに片付けたいことがあると言いました。これらから私の推測するラストシーンはハッピーエンドですが、村上春樹さん本人はどんなエンドを考えながら本書を仕上げたのでしょうか。
こんな本もあるんですね。
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をどう読むか
- 作者: 河出書房新社編集部
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2013/06/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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多崎つくるはいかにして決断したのか―村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む
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