僕が本書を読んで抱いたイメージを言葉にするのであれば「静謐」に尽きる。それは、本書に何度も登場するピアノに近いイメージかもしれない。劇的な転調を迎える現代音楽よりは、どちらかというと、普遍的な音の広がりを静かに楽しむイメージ。著者は、何度も「森」を登場させる。主人公の育った環境と、ピアノの音へのイメージがそうさせるからだ。読み手もいつの間にかイメージの中に没入させられる。柔らかな風が吹き、葉擦れの音が支配する、森の奥深く、そこで広がるピアノの音。
主人公の外村は、あまりにもひたむきだ。しかし、当の本人は、それに気づいていない。知っているのは、自分がピアノを調律することに惹かれているという一点だ。そこに意味を与えてくれるのは、彼が出会う人々だろう。フィーリングでしかなかったものに、言葉や行動を伴ってくれる。彼はまたピアノに惹かれる。そして、成長する。彼の成長は、それこそ森の奥深くで鳴るピアノのようだ。静かに、でも確かに広がりを見せる。
本書は、かなり緩やかな小説だ。悲劇的な出来事がないわけではないが、それで世界が歪むようなことはない。ピアノが成長産業ではなくなった今日の悲壮感もあまりない。それでもこの小説に引き付けられるのは、外村の飽くなき調律への想いが伝わってくるからに他ならない。自分の周りで、これだけの想いを語れる仲間がどれだけいるだろうか? 自分が調律師として成長したいと口にして、共に努力できる存在は、いるのか? 僕は、外村に明らかに嫉妬した。そして、勇気をもらった。