カズオ イシグロ,Kazuo Ishiguro 早川書房 2017-10-14
本書は記憶が霧に包まれたように思い出せなくなる老夫婦が息子の村を訪ねようとする物語である。なぜ記憶が失われるのか。その理由は、物語の中で明らかになるのだが、そのような状態になった理由や記憶がもたらす効果について考えたとき、読み手はこの小説の次の世界に誘われるだろう。これは、記憶が霧に包まれた登場人物たちとは違い、記憶の確かな世界で生きる私たちだからこそ見える視点である。
さて、記憶が人間にもたらすものとは何なのだろうか。単に記憶する機能ではなく、それによって社会に生まれる効果について、私は考えさせられた。例えば、役割や階級である。記憶がないということは、過去の栄光に対する賞賛が薄れる(または皆無)ということである。どれだけ優れた技術を持ち合わせた人間であっても、今を生きる力がなければ役に立たない人間として見られてしまう。記憶がない中、個人で生きることはかなりつらいだろう。ならば、集団を上手く機能させるために、今なにができるのかを集団に表現する力や身なりなどのコンテクスト要素で生き方は大きく変わるに違いない。本書内では、全く記憶がなくなるわけではないので、その辺の階級については曖昧なままだったが、人の暮らしや役割の与え方が、私たち目線で見ると適切には思えなかった。
このように人は記憶から様々なものを作り出す。やはり記憶が簡単になくなってしまうことは悲しい。大切な人との記憶だけではなく、その大切な人との関係性まで失われるかもしれないのだから、そもそもその人が大切な人かどうかすら定かではなくなると思うのだ。
私は時々思う。逆に忘れてしまいたいこともあるはずだと。それは心の傷となる出来事だろう。人が成長することにおいて、欠かせない要素のひとつなのだろうと考えている。この心の傷こそ、誰もが忘れてしまいたいものではないだろうか。例えば、人は辛い出来事を経験したとき、それを忘れようとして、食事をしたり、友人と会ったりする。しかし、これは完全にそれを忘れたわけではない。脳内で論理的にその記憶を処理しようしているのだ。その出来事を脳内でうまく処理できるようになったとき、人は一つステップを昇ることができるのだと考えている。つまりノスタルジーの完全消滅は、社会の停滞を招くのではないかと思うのだ。
本書にガウェインという騎士が登場する。アーサー王を盲目的に信じ、記憶の薄れた世界を肯定する人間の一人だ。彼らは世界の平和のために、その世界を肯定している。そのような世界を維持しようとすれば、その志を共有できる人間を常に維持しておかなければならない。かなり人に依存した世界だと言える。それでも、彼らはその世界を信じたのだ。そして、その世界が幕を閉じたとき、今まで記憶の薄れていた人たちは、自分が取り戻した様々なものと向き合う必要に迫られる。それは、上述したとおり、ただの記憶にままならないはずだ。私には、どちらの世界が正しいのか、二者択一で考えることはできなかった。しかし、考えるポイントは無数にあったと思う。私のように記憶のポイントに絞らなくても、昨今、世界的問題になっている移民問題や、ブロックチェーン技術のような記憶性の高い技術などに焦点を置き換えることもできるだろう。様々な問題定期をしたうえで、物語としての面白さも提供してくれる素晴らしい小説だった。
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