仕事のミスが絶対なくなる頭の使い方の書評(2/4)
前回に引き続き書評を行いたいと思う。
ありがたいことに前回の書評を投稿した時点で、著者からコメントをいただき、フェイスブックにも転載いただいた。時折、このように著者本人からコメントをいただき、私の示唆に対してコメントをいただくことができる。ブログを始めてよかったと実感する瞬間だ。
さて、本日は本書の第二章「アテンションミス」についてコメントしたい。
私は前回の投稿を「周囲の人間関係との兼ね合いで、人の短期記憶が占領され、それによって仕事で使うべき脳領域が失われる可能性があること」で締めた。
第二章はこれと大いに関係している内容だった。
アテンションミスは脳の短期的記憶領域をどれだけ効率的に使えるのかによって、頻度が変わってくる。つまり短期的記憶領域に余裕をもたせることができれば、アテンションミスの頻度も減少させることができるだろう。
私にはこれの裏付けとなるような体験が手に余るほどある。
迫りくる期限。期限があることは分かっていたし、自分の技量ではそれまでに作業を終わらせることができるのか怪しいことも自覚していた。が、周囲に相談することもできずに期限は目の前に迫ってきてしまった。私にできることは全ての力を使って作業を終わらせること。相談することに躊躇いを覚えている私の行動はあまりにも愚かだ。しかし、それしか答えがないと思っていた。
結果的にそのような状態で取り組んだ作業は見返せば酷い出来だった。
全ての力を使う……その前に大事な短期的記憶領域が失われていたのだ。迫りくる時間、周囲との人間関係、そこにいたるまでの自身の愚かな行動の振り返りなどなど、思い返せば、本当に私は仕事に集中して取り組んでいたのかも怪しい。
本書では注意を向けることにも人は記憶領域を割いていると記述されている。上記の私の振り返りなんて、極僅かなもので、人はとてもどうでもいいようなことに無意識的に力を使っているのだろう。
やはりこのような無駄なことを取り払うにはメモの存在や周囲との良好な人間関係の構築が重要なのだろう。
また本書ではゾーンに入ることも提唱されている。
ゾーンと聞くと、スポーツ選手のような特殊な職業の人間が体験するものであるように思えるのだが、そのように距離を取る必要はまったくないと思う。要は集中している状態に入ること。そのためのルーチンワークを持つことが大事だ、と提唱したいのだ。何に取り組むかはその人それぞれなのだ。
私はあまりルーチンワークをもっていない。朝だって慌てて家を出て、席について少し時間が経てば、始業している。
ゾーンは対象の事物に対してのみ目線を向けている状態だ。つまりその他の何かに集中する必要がなくなるので、短期的記憶領域にも空きができるというのだ。ゾーン自体はまだまだ研究されているものだと思うのだが、この示唆は大変興味深かいし、ルーチンワークをもつことでこの状態に近づけるのなら、とても良い気がした。