本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

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となり町戦争(三崎亜記)を読んだ感想

「となり町戦争」というタイトルヵら本の内容を簡単に推察することができる。「なんとなく、こんな感じ何でしょう?」と本の概要を説明し始めるような人間だっていそうなぐらいだ。

 僕もそのような考えをもっていた。「戦争」という言葉は、あまりにも近くにありすぎる。が、実態を僕たちは知らないのだ。その実体なき「戦争」という言葉を以て、この本の内容を推察したような僕にこそ、この本は必要だったと言える。

 

となり町戦争 (集英社文庫)

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「戦争は日常の延長線上に存在している」

 本書で何度も語られているセリフだ。これはこの物語の中でのみ、語られるセリフではない。現実世界でも当然のように語られているセリフだ。この言葉を聞いて、えらく納得する人もいれば、自分のテリトリーに関与していないのだから、と言って無視するような人間もいるだろう。

 僕はどちらも間違っていないと思う。ただそのことを意識できるのとできないのとでは大きな違いがあるはずだ。

 この二極化された人間性は、本書の中でも表現されている。戦争に関する説明会の中で、自分たちの生活に影響があるのかを心配している人間と、自分事として行政に戦争の意義を詰め寄る人間。

 前者は「何らかの脅威があるらしいけど、私って大丈夫なの?」ぐらいの抽象度でしか意識をもっていない。おそらく自分の目の前に存在する実態にしか興味をもてないのだろう。が、このような人間を僕は羨ましく思う。心的な負担が少なそうだからだ。「自分に直接関係することだけに対処し、不安を取り除く」これは人間が楽に生きていくために備えた機能のような気がする。

 一方で、全ての出来事を自分事として捉えている人間は心的な負担があまりにも大きそうだ。特にネット社会となった今は、世の中に流れている情報を全てキャッチすることがきる可能性をもたらした。様々な出来事が彼らの心的負担を増長している可能性は大いにある。

 僕はどちらのタイプでもありたくない、と思った。前者のようにノビノビと生きていくことができたらと思う反面、自分の行いの影響範囲を考えることができないような人間にはなりたくないと思った。誰かに何らかの悪影響をもたらすようなことはしたくない、と。一方でそんなことができないことも知っている。

 だから僕は、いつもその対象を「家族・友人」に絞ることにしている。せめてこの人達に対しては、僕の行いの延長線上に存在しているのだと意識するように心掛けている。

 

 論点が「戦争」からズレてしまっているような気がするが、戦争を知らない僕は、このような日常的な働きと、本書で感じたことから、何かを得るしかなかった。でも、それは論理的に何かを説き伏せない小説ならではの学びだと思っている。

 実体なき戦争から様々なことを考えることができる一作なので、興味のある方は是非手にとって欲しい。

 

となり町戦争 (集英社文庫)

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となり町戦争 [DVD]

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