残り全部バケーション(伊坂幸太郎) 日常に少しの不思議を詰め込んだ小説[レビュー]
伊坂幸太郎の残り全部バケーションを読了したので、その感想を投稿したいと思います。
※ネタバレを含む可能性があります
かなり面白かったです!
伊坂幸太郎お得意の短編なんだけど、それぞれが微妙に繋がっている、ってやつですね。ちなみに本書は短編が五作品収録されています。最後の話は書き下ろしの作品なので、文芸誌で既に一部読んでいるという方にも読んでいただきたい。
残り全部バケーションでは岡田という人物の現在や過去が描かれていて、悪い仕事を請け負っているはずなんですが、本書で描かれている岡田くんは基本的に世間で言ういいことばっかりやっているイメージです。といか実際にそうだと思います。自分の信じることに一生懸命で、その姿に読者として惹かれていきました。
そんな岡田くんの安否について、明確な描写は存在していません。しかし、第一章で岡田くんがスイーツを食べたときの反応と、最後の溝口の復讐のやり取りを照らし合わせると自然に岡田くんが何をしているのかが分かるようになっています。
ちなみに、その他の短編の結末も明確には描かれていません。これは私なりの解釈ですが、あえて結末を描かなかったのは「本で行動の描写を描き何かを読者に残すが、結末は描かない。その続きを体験するのはその読者たちなんだ」というメッセージがあるのかなと思いました。特に「タキオン作戦」とか。
でも、「検問」とかはそんな感じがしないですね(笑)
あえて描かないことで読者に考えさせている。その面白みを説いているのかな、とも思います。描かないって勇気が必要だと思うんですよね。読者の反応とか怖そうですし。
個人的には、またこんな話を書いて欲しいと思いました。
本書の「残り全部バケーション」という言葉は、岡田が頻繁に使う言葉です。語感が特徴的でいいなあと思っていて、普段から使ってしまいそうです(笑)
バケーションというと、頻繁にブログやニュースで取り上げられているのは、日本とヨーロッパの休暇期間の違いですよね。日本が長くても一週間ほどであるのに対して、ヨーロッパは一月間の休暇なんてのはざらにあると思われます。そのためか、日本では大学は人生の夏休みだなんて言われています。
私は今年度で大学を卒業する人間なので、いまいちその言葉の本当の意味合いを理解していない気がします。たぶんなくなったとき(卒業したとき)に感じるのでしょう。
残りの時間を使ってやりたいことや、やるべきことを片付けていく必要に駆られているので、時間があるようでないような感覚に陥っているためだと思われます。そんなの社会人の方からすれば、贅沢なんだろうけど、そこは人それぞれってことですよね。きっと。
社会人になってから感じる大学生活の有り難みを、今から感じることができればいいのに。私はそう思ったんですが、実際にそんな感性を備えていたならば、人生はおそらくハードモードでしょうね。今後やってくる困難やノスタルジーに四苦八苦しながら、目の前の出来事に対処していくなんて、体がいくつあってももたないでしょう。精神的な疲労も積もりに積もってその人を苦しめそう。
やっぱり人間は過ぎ去った過去を少し悔やむぐらいがいいのかもしれないな、なんてことを思いました。