『メタモルフォシス』マゾヒストたちによる饗宴[レビュー]
『メタモルフォシス』(羽田圭介)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。
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羽田圭介いわく、「名刺代わりにしたい作品」である本作は
・メタモルフォシス
・トーキョーの調教
という二作品で構成されています。
スクラップ・アンド・ビルドが芥川賞を受賞したことで、一躍脚光を浴びることとなった羽田圭介ですが、本作はその過激な内容から一部のファンの間では語られることの多かった作品です。
また、芥川賞候補にノミネートされていて、それを機に知ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
羽田圭介の作品を読むのは二作目ですが、想像以上に物語性があるように感じたので、面白かったです。
私は風俗、ましてやSMに対する興味など微塵もなかったので、正直なところ話の内容についていけるのか心配な面もありましたが、上記の理由などから楽しんで読むことができました。
SMに興味がない私が本作を読むと、マゾヒストの心理や行動に驚かされる面が多々ありましたが、実際にそのようなプレイを楽しんでいる人が本作を読めば、どのように考えるのでしょうか。そのように考えると、本作はあくまでもノーマルの人がマゾヒストについて徹底的に考えた小説であって、あくまでもマゾヒストの全てを表現した小説ではないことを考慮する必要があるかもしれないなあ、と思いました。
そういえば、最近のニュースで過度のSMプレイによる死亡者が年間300人近く存在していることを知らせるニュースを見ました。「M」って安易に使われる言葉ですが、詳細に関しては、知るのを躊躇う側面があるために、あまりスポットを当てられてこなかった業界であるように思えます。今回の統計や小説を通して、注目を浴びるかもしれませんね。
さて、「メタモルフォシス」は二作品で構成されていてますが、個人的には「トーキョーの調教」がオススメの作品です。
アナウンサーとして、その没個性を評価されてきたカトウが、マナ女王様と様々な場面で繰り広げるSMバトル(笑)が見どころたくさんで、楽しかったです。あえて、ここでバトルと評したのは、本来SとMで役割が決まっている二人の間に、いくつかの社会的関係性が見えるようになってくると、どちらが立場的に上なのか不明となり、お互いに手探りでやり取りしている様が面白かったからです。
サトウやカトウのようなマゾヒストって、ひたすら受け身でいる印象がとても強いんですが、案外そうではないのかもしれませんね。
このように思ったのはカトウが社会的立場を維持するために、躍起になっているシーンとかからではなく、全体的に本作を読んでいて感じたことです。
あくまでも「プレイ」ということが念頭にあるからなのかもしれませんが、奴隷たちは女王様から虐げられるために多くの時間と金を費やして準備をしています。その様を見ていると、とても能動的だな、と思います。
あくまでもM=受動的、のように考えるのが間違いなんだとは思うものの、大衆のイメージでは割りとそうなんだと思うんです。でも、ここで描かれている世界の人間は、奴隷になるために必死なんです。必死で頭を振り絞って考えるんです。端から見ると非合理的なSMプレイのために、奴隷たちは非常に合理的な動きをしているんです。その能動的な所作が自身のイメージしていたマゾヒストのイメージと離れていたことは、とても印象的でした。
一方で、仕事に対しては、実に没個性的で受動的に取り組んでいた、主人公たちは、最終的にSMプレイを通して、自我のようなものを確立します。
「メタモルフォシス」というタイトルを目にしたときに、ノーマルな人が変態さんに変身してしまうお話なのかな、と想像していました。実際には、M行為を通じて、何らかの意志のようなものを獲得して、強い人間になる話だったんじゃないかなあ、と考察しています。
羽田圭介はこのような、身体変化を通じて、自我の確立を目指すお話が得意なのかもしれません。
スクラップ・アンド・ビルドでも、そのような展開が表現されていたよなあ、と思い返しました。