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スクラップ・アンド・ビルド(羽田圭介)を読んだ感想や書評[レビュー]

 

  スクラップ・アンド・ビルド(羽田圭介)を読了したので感想や書評を投稿したいと思います。

 

スクラップ・アンド・ビルド

スクラップ・アンド・ビルド

 

 

 この作品は芥川賞を『火花』と同時に受賞した作品です。最近では作者の超合理的な性格や聖飢魔IIをカラオケで真剣に歌う様子が面白いとテレビやネットで話題になっていますね。一方で、スクラップ・アンド・ビルドは芥川賞にノミネートされた時点で受賞確実と話題にもなっていた作品です。少し気になっていたので、読んでみました。

 

 現在29歳の作家が書いた作品ということで、華やかな作品なのかな?と、かなり勝手なイメージを抱いて読み始めましたが、全く違いました(笑)

 

*あらすじ

「早う死にたか」
毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、
ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。

日々の筋トレ、転職活動。
肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して……。
閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!

 

 

Amazonから引用しました。しかし、これだけだと一体どんな内容の小説なのか全くわかりませんね。

あらすじから想像していた内容とは個人的に少し外れていましたが、とても面白かったです。ただ、一般的な小説のようにストーリー重視で本を買うタイプの方にはオススメしません。これ以降で面白かったポイントをネタバレ込で記述していくので、それに興味をもった人や社会課題について、このような小説を通して考察したい人にオススメだと感じました。

 

個人的に面白かったポイントは以下二点です。

現代社会の闇を活かしたストーリー展開

②祖父と健斗を中心とした本音と建前のやり取り

 

①について

 超高齢社会に突入してしまっている日本では避けられない介護問題について小説内で描かれています。介護の必用もなさそうなのに体調が悪いと病院を訪れたり、デイサービスをお願いする祖父を主人公の健斗と母親の二人が介護しています。その母親は驚くほどの暴言で祖父のことを罵倒します。最初は、そんなに言わんでも、、、と同情したのですが、祖父のめんどくさい言動を見ていると徐々に母親の気持ちがわからなくもないな、と思えました。介護って複雑。

 そんな祖父を健斗は懸命に介護します。なぜか。それは、祖父の願い安楽死の実現と家族側の願い介護からの開放を実現するためなのです。一見すると介護に注力することは、上記の願いと矛盾しているように思えます。シンプルに考えるならば祖父のことを放置するほうが楽そうですよね。しかし、健斗は祖父を徹底的に介護することで、祖父から生きる力を失わせようとします。充分すぎる介護で祖父が動く必用のない世界を実現することで、祖父がただボーっとしている内に楽に死ねる世界。健斗はこれの実現のために努力します。安楽死や介護について、このような(手厚い介護で実現する)視点というのは考えたことがありませんでした。特に特別な倫理観を持ち合わせているわけでもありませんが、この小説はこのような問題に対して新しい見方を与えてくれると思います。

 

②について

・祖父は人に合わせてキャラを変えている

 祖父は、身体自体は健康(医者からも健康体であると告げられている)なのに気持ち的に病んでいる老人です。実際にこのような高齢者は実在しています。生きる意味を見失った時に、生きていく活力を失ってしまうことで、急激に老けこんでしまったり、病に冒されてしまうような人です。しかし、話に出てくる祖父は、実際はある程度の健康を保っているのだと思います。それを読者に感付かせるような描写が、健斗の予定が急に無くなり祖父に告げていた時間よりも早く家に帰るシーンです。主人公は「何か黒くて素早い物体が動いた」と表現すると同時に祖父の好きなピザを食べた後やテレビのチャンネルが変更された形跡に違和感を感じます。極めつけにはいつも聞こえてくる祖父の杖をつく音がしていません。これを見て思い出したのが、小学生の時に家で留守番をしていて、家を好きなように荒らしていた時の記憶です。家族にも見せない自分だけの世界。祖父もこの時間を隠れて謳歌していたのではないでしょうか。

 では、安楽死を臨む祖父の姿はなんなのでしょうか。これは基本的に祖父のかまってちゃんの性格が現れているのではないかと思いました。ただ、それを単に「かまって」と表現するのではなくて、相手に合わせて表現しているように思いました。

 例えば、心優しい人にはキツい口調で。厳しい母親(娘)にはか弱く。デイサービスの若いお姉さんにはセクハラ混じりで。優しくなった健斗には自分のことを誇示しながら(嘘の戦争体験など)。

 このようにいくつかのキャラを演じながら、何となく生きていく場所を求めていたのではないでしょうか。もちろん体が弱りつつある事実や、ただ天井を眺めている日々に嫌気が差していることや、その時にふと「死にたい」とつぶやいてしまうこともあるでしょう。結果的にそれは本音であると同時に目の前の人に対するかまってアピールも含まれているのでしょう。

世の中の高齢者の方を全てこのような目で見ることはないし、若者にだってこのような人はたくさんいる。この小説を読むことで新しい気付きが得られる反面、変な高齢者に対する誤解が自身の中に生まれないか少し不安になりました。

 

 私が仮にこの小説に一つのテーマを設定するとすれば「本音と建前から生じた共依存」です。

 上述しているような祖父の行動からは様々な本音と建前が見受けられます。また、祖父に安楽死させるための介護に臨んでいた健斗にも本音と建前が存在しています。ただ、それは序盤と終盤で変化していることでしょう。終盤では祖父のようにならないための筋トレ等を通して祖父と比較した際の自信の人生の充実を体感しています。物語の最後では電車の中に祖父を不意に探してしまう描写もあります。健斗は無意識的に祖父との比較を図ることで自分は大丈夫だと言い聞かせていたのでしょう。なぜならば、弱者との比較がなければ健斗は30手前にして不安定な会社に再就職がやっと決まった三流大学出身の社会的に弱い男であるからです。

このようにお互いが良くない状態で救いを求め合っている状態は、社会課題の一つでもある『共依存』に陥っているといえるでしょう。本音を隠して、建前でやり取りを重ねる内にお互いが共依存に陥ってしまっているんですね。端から見ると祖父に優しく運動や資格の勉強にも余念がない男性はそんなに悪くもないし、それをもたらしてくれた祖父とのやり取りもそんなに悪いと断定し切れない部分があります。共依存や介護の難しいポイントはこのような部分にも存在しているのかもしれないですね。

 

 

様々な考えが生まれる小説だと思うので、みなさんも是非、目を通してみてください。