愛していた男が事故死。そこで、男が身分を偽っていたことを知る。わたしの愛した男は一体何者なのか。そんな問いから物語は進展を見せる。
本書における主題は以下の文章に表現されていると言えるだろう。
『——愛にとって、過去とは何だろうか?……』
城戸は、里枝の死んだ夫のことを考えながら、ほとんど当てずっぽうのように自問した。
『現在が、過去の結果だというのは事実だろう。つまり、現在、誰かを愛し得るのは、その人をそのようにした過去のお陰だ。遺伝的な要素もあるが、それでも違った境遇を生きていたなら、その人は違った人間になっていただろう。——けれども、人に語られるのは、その過去のすべてではないし、意図的かどうかはともかく、言葉で説明された過去は、過去そのものじゃない。それが、真実の過去と異なっていたなら、その愛は何か間違ったものなのだろうか? 意図的な嘘だったなら、すべては台なしになるのか? それとも、そこから新しい愛が始まるのか?……』
これは愛を超越した人への信頼における極めて本質的なテーゼだと思う。
このことについて僕も深く考えたことがあった。僕がどれだけ多くの言葉で語っても、どれだけ多くの行動で示しても、僕のことを今から昔に遡って知ることは、この人にはできないのだと思うことがあったからだ。
僕は当たり前だけど僕のことを誰よりも知っている。だから伝わって当然だと思うことも、相手は知らないので伝わらなかったりする。少なくとも僕が思っているほどには伝わらない。僕はこのことが少し寂しかった。
でも今は違う。結局のところ僕のことをどう思うのかは、相手の課題でしかないのだ。つまり、僕がどうこうできることではない。僕にできるのは、相手のことを精一杯愛し尊敬することと、自分のことを精一杯伝える努力をすることだけだ。その結果、僕のことを良く思ってくれたらよい。そう思うしかないのだと割り切れた。
しかし、本書の場合、里枝は男の死によって、彼が身分を偽っていたことを知る。ちょっと知らない過去があったなんてレベルではない。彼女が信頼していたもの全てが嘘かもしれないと宣告されたのだ。
印象的だったのは、里枝が、彼が死んで名前がなくなったことで、彼をどう呼べばいいのか思案しているシーンだった。記憶から手繰り寄せるために大切だった名前が消えたとき、その人の記憶自体も深層に沈んでしまうのだと気づかされた。
僕たちは数多くの属性からその人を形作って見ている。しかし、本当に簡単にその人を表現するものが名前なのだ。その人の名前に、ビジュアルや経歴などの属性が紐づいて記憶しているように僕には思えた。
少し話は前後するが、相手は自分をどう思っていて、自分は相手にどう思っていてほしい、というのはかなり繊細な問題だなと思った。
前述したとおり、人は基本的に自分が一番多くを知っている。もちろんジョハリの窓が提示するように、相手が知っていて自分は知らない領域も間違いなく存在する。しかし、自分は相手にこう思ってほしい、という欲求が生じている場合、その領域について人はあんまり考えない気がする。どちらかというと、自分が知っていて、相手が知らない領域に対するやるせなさが気になるだろう。
相手が思う自分と相手に見せたい自分でアンマッチが生じる場合、その多くは、相手は自分を行為やラベルを中心に見る、自分は内に秘めた自分という存在を見せようとすることによって生じているように、本書を読んで思った。
よく恋愛で「行為で示してほしい」や「言葉がなければ信じない」という(主に)女性の言葉を耳にしたことがあるだろう。これは、上記のような理由から生まれた言葉だと思う。よくよく考えると当たり前なのだが、行為や言葉によって世の中に表現されていないものは、他人からすると無いに等しいのだ。
僕たちは言葉や行為にして相手に伝える必要があるのだ。
恋の話を盛りこんだところで思い出すのが、城戸が浮気心を抑え込むワンシーンだ。
僕は、このシーンの城戸をとても尊敬している。憧れにも等しい女性が自分に気持ちを寄せていることに気づく、しかも二人で新幹線に乗っているので、邪魔するような者もいないだろう。それでも自分の気持ちを理解して、相手の気持ちを尊重したうえで、大切なもののためになかったことにする勇気を僕は素敵だと思った。
城戸はメタ認知力がとても高くて、自分の状態をとても冷静に眺めようとする。人によっては気持ち悪いと考えるかもしれない。城戸の姿勢は、自分の感情を抑圧しているように思えるからだ。でも、この姿勢こそ僕に必要なものなのだろうと思った。メタ認知能力は人を大きく成長させる。時には見えなくてもいいものが見えてしまうかもしれない。でも、それを乗り越えることで普通に生きるのでは実感できない成長を実感できるのだと思う。
様々な角度から人の存在と実態について考えることができる良い小説だった。
平野啓一郎の小説をもっと読んでみたいと強く思った。