※ネタバレ注意
設定を一言で表すならば、クローズドサークル下におかれた子どもは全員が自殺志願者。そのテーマはゆっくりと語られていくもので、むしろタイトルから察することによって多くの情報が得られる。本書は、想定より1人多い志願者が現れたことで不信感が募り調査を始めることからミステリとしての要素が顔を見せ始める。
「大きな選択のために」……ここに集まった彼らが頻繁に口にするセリフである。この大きな選択が「自殺」を指していることは、既に読了している皆様はすでにご存じと思う。
読んでいて考えさせられるポイントは、そこに至るまでに彼らが歩んだ小さな選択と過去についてだろう。この部分は、読者によって見解が大きく異なると思った。なぜなら、それぞれ経験していることは特異なものや、既に世間で認知されている難しい問題によるものなのだが、語り方が感情的かつ語り手が子どもであるというバイアスが僕たちの思考に潜んで、「子どもだから忍耐がないな……」というような認知を生み出しても不思議ではないと思ったからだ。
しかし、こうやって切り捨てることはよくない。どの問題が一番大変かなんて、人には決めようがない。人によって世界の見方は大きく異なるからだ。そもそも、この問題が一番大変だと言い切る人の、その考え自体がその人の思考フレームにはまっている。
ただ正直なところ、安楽死を認めるかどうかは僕には分からない。ケースとして挙げられているものに様々なストーリーがあって、僕の感情は色んな方向に向かって行ったり来たりを繰り返してしまうから。ただ、この世界で生きていて苦しい部分があって、それが自殺の理由になってしまうのであれば、それは悔しいなと思う。死ぬ必要なんてないのであれば、そちらの方がいいと僕は単純に思った。この単純さをもって、色んな課題を抱える人に支援の手を向けてあげる必要があるのだと思う。
そのためにも僕たちはもっと多くのことを知る必要があるし、より多くのことを話し合う必要があるのかもしれない。少なくとも僕の周りにいる人は、自分に関与しないことは全く話さない人が多い。変えられないものに力を割き続けることは、僕も反対だ。でも、俯瞰的に僕たちを取り巻く環境や問題を知り、それについて意見をぶつけることは、とても大切な学びの機会を損ない続けているように思う。そして、その積み重ねがなければ、いざ僕たちの前に大事な選択が来たときに、適切な判断ができないかもしれない。僕はそれが怖い。
本書では、同じ目的を持った子どもたちが集まり、自分たちの選択について語っている。
同じ悩みや傷を抱えた人によるオープンな語りは、心を癒す効果があると報告されているのを見た記憶がある。僕が思うに、ここには2つの作用が隠れている。
①話すことによって、自分の中でストーリーが生まれ、納得性が増す。自分が傷つく過程を人に語ることで一貫性のあるストーリーになり、頭が混乱から覚めるのに寄与すると僕は考えている。それまで頭の中で蓄えていたカオスが少しでも整理されると人の気持ちは少し楽になる。これは脳が一貫性のある情報を求めていて、頭の中で考えているだけのときは、色んな情報を考慮しすぎて具体的なストーリーになっていなたかったが、人に話すことで余計な部分が削がれた良いストーリーになるのだと思う。
②共感作用。人に話す前は頭の中で問題が肥大化し続けている。そうなると脳の作業領域には、自分の不安感情が溢れて、行動する余裕が生まれなくなる。それが言葉に発することで世界に表出され、それを受け入れてくれる人がいた場合、この問題は自分だけが悩むものじゃないんだ、と思うことができる。不安感情が意味をなさなくなり、次の行動を考える余裕が生まれるのだ。
本書を読んで、一つの大きなテーマに対して自分の完全回答が生まれたとは思えない。でも、人によって問題の捉え方と重要度は異なることや、オープンな語りがもたらす効用について整理することができた。ミステリー小説でこのように考えることができるのは、本当に幸せなことだと思った。