樺沢紫苑 サンクチュアリ出版 2018-08-03
インプット中心になっていて自分がこのような不安を抱えていると思う人は、必ず本記事を読んでみてほしい。アウトプットがなければ成長する機会を失うことに気づいていただけるだろう。
■インプットよりもアウトプットを大切にする
インプットはもちろん大切だ。人が自分のパラダイムを改めようと思ったらインプットが大切になる。しかし、インプットしているだけでは何にもならない。これは現代社会でとにかく強く言われていることだろう。
学校教育のような基礎的な学びが何度も非難の的にされているのを僕は目にしてきた。僕個人の考え方からすると、方法は別にしても、やりたいこと自体は悪くないと思っている。要は、あれが基礎的な学びであり、そこから応用的な学びと自分の興味を結び付けることができなければ何にもならないことを自覚していない人が多すぎるのが問題なのだろう。
結局のところインプットによって得られることは知識なのだろう。一方で経験して得られるものは、生きる技術になる。それは知識よりも高次元なものだ。
一説によるとインプットとアウトプットの割合は「3:7」が適切なのだという。正確に自分の行動比率を把握することはできないかもしれないが、何となく自分の一日を振り返って、どちらに比重が置かれているのか内省することはできるだろう。
■なぜアウトプットが大切なのか
今回の記事の根底に存在する疑問である。この疑問こそが読み進めるうえでの原動力になると言っても過言ではない。
結論から述べると、インプットばかりではフィードバックが全くないことが理由になる。つまり、アウトプットしても、そこにフィードバックがないと意味がないともいえる。
例えば、営業時の交渉術を鍛えたいと思って交渉心理の本を買ったとする。これを読みこむのがインプットになる。この後、営業や人とのコミュニケーションの中で、この本から学んだことを実践しなければ、それはアウトプットがゼロである。もしも本書で読んだことを意図的に実践すれば、アウトプットは成功する。しかし、ここで仮に相手の反応が悪くて交渉がうまくいかなったとする。これを「なんかうまくいかなかったな~」と終えてしまえばフィードバックがゼロである。そうではなく、相手の反応を考察し、本からの学びを復習したり、自分なりに相手の反応に対するカウンターを用意するなどの対策を考えて、次の場で実践することができればよい。
つまり、試す→反省する、という単純なフローを続けないような思考停止に陥ってしまうと、せっかく時間をかけて学んだことも意味がなくなってしまうのだ。
多くの人は学ぶことに時間と体力を使って、そのコスト感で満足してしまう。あくまでも何らかの目的に則してインプットが存在していることを忘れてはならない。
■単なる記憶で終わらせない
アウトプットの重要性がわかったところで、アウトプットする時に意識したいことを一つご紹介したい。
例えば英単語を覚えるときに皆さんはどのような学習方法をとるだろうか。僕は学生時代に単語カードを作っていた。今でもそれを自動化しているアプリが流行っているので、手段自体は大きく変わっていないのだろうと推察する。しかし、本書を読んで僕はこの方法があまり効率の良くないものだったかもしれないと思い返していた。
英単語をカードで覚える方法は一般的に「意味記憶」だ。なんかの物事に意味を与えて記憶する。つまり「物事」と「意味」を一本の糸が繋いでいるようなものだ。
この意味記憶よりも良いとされているのが「運動性記憶」だ。これは読んで字のごとく、運動しながら覚えることを指す。「物事」と「意味」の繋がりに自分が運動した記憶が結びつくので、身体を動かした際に、そのことを思いだす頻度が高くなる。
さらに良いとされている方法が「エピソード記憶」である。これを英単語の例で考えると、例文や洋書をとおして学ぶことに例えられるだろう。自分自身が海外で英語を使って話すことになれば、より濃密なエピソードとして記憶することもできるだろう。
このように一番の学びが「エピソード」になるのであれば、誰かにストーリー化して教えることを前提にインプットすればよい。僕は本を読む際に、自分が良いと思ったポイントをメモしながら、自分がどうやって、この本で学んだことをブログにすれば読み手に伝わるのかを考えている。これが自分にとっては定着しやすい環境になっているなと実感する。
■フィードバックの4つの観点
さてフィードバックが成長にとって大切な行為であることが理解いただけたところで、フィードバックにおける4つの観点をご紹介したい。これはフィードバックでどこに着目すればいいか分からないときやチェックポイントとして使うことができるだろう。
①短所克服と長所進展。
自分のアウトプットを振り返って見つかった短所を修正し、長所をより伸ばすことを考える。この二つは、特に意識しなくても考えられる人が多いと思う。
②広げると深める。
この観点は意外に忘れやすいかもしれないと思う。例えば僕が意識しているのは、今回のようにアウトプットに関する本を読んだら「インプット」や「フィードバック」に関する本を続けて読むし、「アウトプット」に関する本も、また読んでいいと思っている。一回で簡単に全領域をカバーできないと考えないと偶然うまくいったものが全てだと思ってしまう。
③なぜ?を解決する。
アウトプットした結果うまくいかなかったのであれば、その理由を考える。
僕が思うに、この理由の部分は抽象化できるレベルまで深堀する必要がある。そうしないと、そのときだけの限定的な反省になってしまうと考えているからだ。抽象化することができれば、他の場面でも応用できるアイデアになるかもしれない。
④人に教えてもらう
自分ひとりでなく、人とディスカッションすることで様々な意見がもらえるだろう。ジョハリの窓が提示するように自分にしか気づけない部分も、相手にしか気づけない部分もある。どちらも、ある意味では正しいあなたを表現しているので、双方の意見を行動に反映していくべきだろう。
■最高のアウトプットのために最高のインプットを
既に述べたとおり人に教えることは最高のアウトプット方法である。そのためには人に教えることを前提としたインプットが必要になる。つまり、多くのアウトプットはインプットの量と質に依存する。
僕の多くのインプットは本や動画コンテンツ、そして仕事を含めた日常的な生活の中にある。
仕事や生活によって得られるインプットは、突発的なものが多いので、意識したときにはすぐメモするようにしている。それ以外の本や動画のようなコンテンツに対しては、目的を持って読んだり見たりする。このように目的を持っているとカクテル・パーティー理論で、自分が得たい情報に脳の注目が向くようになる。これは量と質を上げる効果をもたらすだろう。
このように自分のインプットやアウトプットの量と質を常に見直し、どのような方法が適切なのか検討し続けること。これは自分の成長基盤を支える偉大な取り組みになる。だから僕たちは常に考えて動かなければならない。
冒頭で述べたように、人はアウトプットのフレームが欲しくなってしまう生き物だ。
なぜ、そうまでしてフレームが欲しいのか。それは完璧さを求めるからだと僕は考えている。
人は自分がアウトプットするものに自信を持っている、もしくは不安感を持っていることが多い。そのようなアウトプットがどのように評価されるのかが不安になるのだろう。僕も昔はそういう傾向がとても強かった。しかし、これは意味が全くないと思った。完璧なアウトプットを求めすぎると時間がかかるし、その間に誰かがレールを作ってしまうので、誰かのものをマネすることばかりに慣れてしまう。
しかし、僕が思うにアウトプットは量が大切だ。いくつものアウトプットを経験することで、視点が深く広くなる。仮に完璧なアウトプットばかりを求めると、誰かが用意した一点においてのみ深堀していくことになる。これは非常にもったいない。どんどんアウトプットして結果を自身にフィードバックしていくべきだ。