西野 亮廣 KADOKAWA 2018-11-16
これまでの著書では、読者に新しい概念を教えようとしたり、危機感を抱かそうとすることを優先するあまり、論理的で少し毒のある文体になっていることもあった。でも、今回の文章は柔らかで温かい。西野さんの優しい部分が上手く伝えたいことに乗っかっている。
実はこれには秘密がある。
■これからのビジネスは共犯感覚が大切になる
西野さんのオンラインサロンでは、彼が手掛ける様々な仕掛けの種が共有されている。時には、西野さんから「これ、こんな感じでどうッスか?」と相談されることもある。上記の文体に関する相談も、実はオンラインサロン上でされていた。その中で、女性陣から論理に寄りすぎて、文章に柔らかさがないことの指摘があったのだ。
このやり取りを見ていた僕は、実際に販売されている本を読んだときに嬉しくなる。普通は知らない販売の裏側を知っているからだ。これからは、このような感覚が大切になる。つまり、完成品を売るだけにビジネスは留まらないということだ。
例えば、西野さんのオンラインサロンでは、美術館の建築計画がある。どのように美術館を設計するのかはもちろん。設計過程の段階でもマネタイズできることはないのか? 会議という形やグループ上でもディスカッションで話が進んでいく。もちろんオンラインサロンの参加者は誰でも自由参加できる。
僕は、オンラインサロンにしばらく前から参加しているので、このような形態を見ても何の違和感もないが、普通の考え方からすると違和感があるのだろうか。なぜなら僕たちは、月額千円を払って労働を買っているようなものなのだ。せっかく休める時間にお金を払って労働しているのは、今日の働き方改革の考え方からはズレているように思える。
このオンラインサロンを僕は二つの理由から素晴らしいと思っている。
①ステップアップしたいけど行動に落とし込みにくい人のヒントになる。
例えば将来的なビジョンを持っていてスキル形成に取り組んでいる人がいるとする。このような人はもちろん会社選びに慎重になると思う。なぜなら自分のビジョンに沿った会社に就かなければ、求めているスキルが得られるか不明だからだ。一方で会社も全ての社員に対して、好きな仕事をさせることは、やはり難しい。そんな状態でもオンラインサロンには簡単に参加できるし、西野さんのような人から大きなチャンスを得ることもできる。業態もいくつかあるので自分に適したオンラインサロンを見つけることができる。
②小さなコミュニティ形成と移動の容易性を実現している
今の日本は変わりつつある。転職の斡旋が始まっているし、副業の推進も始まっている。それでも基本的な考え方は変わらない。学校や会社が軸にあって、その中で僕たちは生きている。しかし、これには大きな問題があると考えている。その中でも僕が最も危惧しているのは、心理的な恐怖感を生むということだ。
それは何か。例えば、会社や学校で自分のやりたいこととのマッチが図られなかったとする。その場合、別の環境に身を置くしかないと思うのだが、現状、そのような行動は恐怖感が伴う。なぜなら、自分が今持っているものを多く捨てることになるかもしれないからだ。人はリスクを嫌う生き物で、このような選択はリスクの面ばかりが強調されるのでなおさらだろう。
しかし、オンラインサロンのように条件が月額費用だけの小さなコミュニティがたくさんあればどうだろうか。自分の居場所が会社だけでない、他にも活躍できるスペースがあると知ることができたとき、人の心理的負担は大きく軽減するはずだ。そして、自分に合っていないと思ったら簡単に移動できるようにしてあげればよい。こうやって人のコミュニティ移動が簡単になれば、人はもっと自由に生きられる。
■これからは人の時代
西野さんは、ある仮説を提唱している。ざっくり書くと以下のようになる。
物質的に満たされて多くの物がコモディティ化する世界では、単に物を買うことだけでなく、その背景にあるストーリーに惹かれて物を買うことが増える。その背景を作るのは人なので、その人に惹かれて物を買う機会が増えるはず。
オンラインサロンを使って、西野さんは「人マップ」を作ろうとしている。例えば、食べログならお店単位で評価が確認できるようになっているが、人マップでは、どのような人がどんなお店をやっているのかが可視化できるようになっている。僕のような本が好きでしょうがない人間が、本が好きでしょうがない居酒屋店長のお店を訪れることができるようになる。
僕はこの仕組みがすごく好きだ。もちろんお店単位での評価も継続して使うだろうが、人マップを使ってお店を使う場面も多々あるはずだ。
これからは会社のような大きな箱に縛られる必要はなく、人と人の結びつきを用意にする小さなコミュニティを転々としながら、自分が大切にしたい人をこんな風に探せるようになるのだろうと考えると素直にワクワクする。
■僕たちが発する言葉が有限であるという事実
オンラインサロン発のレターポットというサービスがある。西野さんはこのサービスを通して、文字がお金の代わりになりえるのか確認しようとしている。なぜ、そのように代替可能と判断できるのかは、本書の中に記載されているので、そちらを参照してほしい。なので、この項目は、本書を読んでいないと理解できないかもしれない(読んでいない人はすみません)。
僕は、その記載箇所を読んでいて、このサービスの難しいなと思う部分があった。
レターポットは、紙幣と同じ階層に価値を置こうとしているから換金装置が不要になっている。これを換金させるとなると、その時のレターポットは更に具現化した階層に価値を置くことになる。それは、お金の代わりになっていないので、換金できない仕組みを西野さんは選択している。一方で、サロンメンバーが感じたように、これを換金できないと意味がないのでは?と感じるのは他のユーザも同じだと思う。その瞬間にレターポットに対する共同幻想は崩れるので、そのバランスが難しいなと思った。
逆に考えると、このユーザの考え方は「お金」が全ての基調に存在する現代のパラダイムに則っているので、これをブレイクスルーしたときに、西野さんの考えたレターポットというサービスは突き抜けたまるで新しいサービスになると思った。
そして、この考え方を支えたくなる文章があった。それは、お金と文字の違いについて考えている西野さんの一文にあった。簡単に要約すると、文字はお金に比べて流通しすぎているから、その価値が低くなっているというのだ。だから罵詈雑言がSNSで溢れていたりする。一方で、西野さんがこれまでに会った命に限りのある人たちは、自分が生きられる時間が決まっていたから、言葉選びが慎重で本当に大切な言葉だけを発していたという。
そこから得られた西野さんの教訓は「文字数に制限があれば、僕たちは大切な人に大切な言葉を贈ることを優先する」ということだ。
僕はこの考え方が大好きだ。逆に、なぜこのように僕は考えて生きてこれなかったんだろうとさえ思った。だって、僕だって、死に直結するような病気を抱えているわけではないけれど、間違いなく死に近づいているのだから。
ぜひ、あなたにも本書を通して、西野さんが作り上げる優しい世界を見てほしい。