人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている(ふろむだ)を読んだ感想・書評
最初の例では錯覚資産が良い方向で働いているケースを述べたが、悪い方向に働くケースがあることも、この図から確認することができる。しかし、人はなぜこのような思い違いをしてしまうのだろうか。その理由として以下の三つが述べられていた。
①理解しているつもりで直感に従ってしまっているから
②正しいことよりも直感に従う方が気持ちいいから
③周りもハロー効果に従っているので、そのほうが保身がきいて楽だから
①は完全に自覚がないケースになる。よくハロー効果には騙されないという人がいるが、そんなことはない。人は必ず脳が生み出す錯覚にハマっている。そうでないと直観的な判断ができなくて不便だ。全てのことを意識的に判断していたら、一日に10万回以上の判断を実施しているという人間は、体力がもたなくなってしまうだろう。
②は、場合によって自覚があるケースだと思う。どちらにせよ、この理屈は納得できるものがある。変に考えて答えを出しそれを待っているよりも、直観的に答えてしまった方が気持ちいいし不安感が少ない。もちろんこれは意識的にやっているケースだが、無意識的にやっている場合もそうだ。脳はこのような直観的な判断を促進するために無意識的に記憶を操作したりする。これについては後述する。
③もよくあるケースだろう。周囲の人を見る目と自分の見る目、そして相手の行動なんかを意識的に見るようになれば、どこにどんなハロー効果をもたらしているのかが、なんとなくわかるようになるのではないだろうか。
このような錯覚資産は、使い方を考えれば非常に役立つ。なぜなら、錯覚資産があると周囲からの評価が高く見積もられるので、より高いステージで活動することができるので、成長環境が手に入りやすいからだ。実は能力で見るとイコールなのに、錯覚資産で高く見積もられた人の方が、より高い成長環境を手にしやすくて、その人は成長ステージに挑み続けることができるので、成長速度がさらに上がるのだ。結果的に更なる錯覚資産の獲得につながるし、より高くステータスが見える要因にもなる。
また、世界は複合的な要因に晒され続けている。いつだって成功しているような人だって、常に成功することが約束されているわけではない。もちろん、そこには複合的な要因が生み出す「運」も影響している。成功している人は、そのことをわざわざ口に出さないだけだ。
つまり、「実力」で勝負しているつもりだった世界が実は、「実力」×「運」×「錯覚資産」で成り立っていることに気づく。
この「運」も錯覚資産を持つことで確率を上げることが可能だと本書には記されている。なぜなら、錯覚資産を活用して一度成功すると、大きな成功を手にしたことによる錯覚資産が生まれるので、それに魅かれた有能な人が集まってきて、次のプロジェクトの成功確率を自然と上げてくれるからだ。
そのためとりあえず大きな実力をつけて、錯覚資産として活用できそうな機会(もしくは参加して成功することで錯覚資産として活用できるようになる機会)に参加し続けることで、次第に周囲から認められれば、次に新しいことに挑戦する際には運の要素も強化されているという仕組みだ。なので、とにかく挑戦し続けることだ。成功している人(錯覚資産を持っている人)は、とにかく表に出る機会が多い。そして、錯覚資産が育つ、もしくは一度成功した段階で次に大きな勝負を仕掛ける。そうすることで周囲から見える自分を育てているのだ。
では、なぜこのような錯覚資産に人は簡単に騙されてしまうのだろうか。
こんな場面が身近にないだろうか。とある有名人について噂をしている人が「彼は間違いなく失敗する」と言ってネガティブな意見をつらつらと述べているような場面。しかし、結果的に噂された有名人が成功を収めたときに、噂していた人が手のひら返しで「彼は成功すると思った」と意見していたりする。これは、記憶の書き換えが起こり、それに伴って矛盾する記憶が書き換えられていることによって発生する。また、脳は記憶だけでなく、判断ロジックに影響するものも変えてしまうので、自分ではその意見の手のひら返しに気づくことが難しい。これを後知恵バイアスという。
僕はこれについて知ったとき「ふざけるな」と思った。そんな風に自己都合で生きていたら大事なものを見失ってしまう人が多発するのではないかと思った。そして、どこかに大きく目標を書くことが大切にされる理由もわかった。きっと、どこかに一貫した意志を書き記さないと人の意見はそれだけ簡単に変わってしまうのだ。
じゃあなぜ、こんな風に人の記憶は置換されてしまうのか。
それは人間の脳が情報の一貫性を求めるからだ。そして、その結論を急がせようとする性質がある。これはあくまでも僕の推論だが、情報に一貫性がなく考え続けなければならない状態は、脳や精神にとって大きな負担になっているのだと思う。だから、自分の中で結論が出たときに落ち着く人も多いのだ。脳はそのような自身の負担につながることを避けようとする性質があるのだと僕は考えている。
その結果、以下のような行動をとってしまう。
①デフォルト値バイアス
人間は判断するのが難しいと考えたとき、デフォルト値を選びやすい。例えば、彼女のいる男性に別の女性がアプローチした場合、彼女の方を少し高く見積もる傾向があるということだ。一方で、人は意図的にデフォルト値を選んでいると思ってはいないので、別に選択の原因があると考えてしまう。つまり、無意識にデフォルト値を選んだうえで、全く関係ないことを考えるという二重の錯覚に陥ってしまうのだ。
難しい判断に迫られていると感じたときは直観に従わずに考えることが大切だし、その際にはデフォルト値を少し低く見積もって考えることが大切になるということだろう。
②利用可能性ヒューリスティック
上述したとおり脳は結論を急ぐ。そのために必要な情報を脳内から廃棄もしくは見えなくしてしまう。広告でよくある「実に〇〇の85%が実践中」のようなフレーズ。これは一見すると高い数値であるように見えるが、全体の数値を提示していないので、実態としてどれだけの人が実践しているのかは見えてこない。それでも人は、このような数値を直観的に信じたりする。
他にも疑問の置換も無意識的に発生したりする。例えば「〇〇は成功するのか?」という疑問を「〇〇のことが好きか?」と置き換えて人は考えたりする。次はそれにも関与する行動だ。
③感情ヒューリスティック
好きなものはメリットだらけでリスクがほとんどなく、嫌いなものにはメリットはほとんどなくリスクだらけだと思い込む認知バイアスを指す。一見してかなり理不尽な認知バイアスだと思わないだろうか? でも、多くの人は自然にこの行動をとっている。それが②で述べた内容になる。あの状態で対象が嫌いであれば、人は成功しないという結論づけをするだろう。
④認知的不協和
これは以前に別の書評でも述べている内容だ。
例えば、平社員が「出世には興味がない」と言う場合、本当に会社の理屈で出世した場合に思った仕事ができなくて言っているひともいるが、自分がそのような立場にいないことへの嫌悪などが心の奥底から漏れ出て、そのように嫌っている人もいる。実際は出世した方がよいことが多いかもしれないのにである。
これを本書に倣って図にすると以下のようになる。
このように脳は、自身の考えと世間の認知のズレを埋めようとする。これを認知的不協和という。これを利用して相手に決断を迫るテクニックもあるのだが、それは上述した書評を参考にしてほしい。
これまで錯覚資産を利用して成長する理屈と、なぜ錯覚資産が生まれるのかを記述してきた。本書を読むともっと分かりやすく多くのことが書かれているので、これは実際に読んでいただきたい。そして、これからは錯覚資産を利用した表層的な自分を鍛えると共に、自分や周囲で発生する思考の錯覚に気づくことができる内的な目を養う必要があることを理解いただきたい。
最後に僕が最も気に入った一節を引用して締めたい。
しかし、真実を語れば語るほど、あなたの言葉は勢いを失い、魅力を失い、錯覚資産はあなたから遠のいていく。
大きな錯覚資産を手に入れたいなら、「一貫して偏ったストーリー」を語らなければならない。
バランスの取れた正しい主張などに、人は魅力を感じない。
それでは、人は動かせない。
「シンプルでわかりやすいこと」を、それが真実であるかのように言い切ってしまえ。
本当は断定できないことを、断定してしまえ。
人々が党派に分かれて対立しているなら、あなたは、自分がどちらの党派であるのか、旗色を鮮明にしたほうがいい。
裁判官になろうとしたら、負けだ。
原告側にしろ、被告側にしろ、あなたは、弁護士にならないといけない。
どちらに味方するのかを表明し、見方を擁護する証拠を集め、見方を擁護するロジックを組み立てるのだ。
そうすれば、あなたの主張には、思考の錯覚の魔力が宿る。
その主張は多くの見方を魅了し、ハロー効果を創り出す。
そして、それは、大きな錯覚資産に育っていくのだ。
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