かなり緻密に作られた小説だと思った。物語を繋ぐ叙述を大胆不敵に削ったかと思えば、細部まで再現するするかのような鮮やかな描写で読み手の思考を支配する。そのギャップ、どこまで書いて、どこを書かないかがよく計算されている。きっと著者はかなりの小説を読んで、文章の見せ方を知った人なのだ。
ただし、このような書き方は危険性を孕んでいる。物語のつなぎが見えない場合、人は自分の感性や経験によって文章を捉える必要がある。つまり自分の推測を当てにする必要があるわけだが、それが外れた場合に、次の文意を理解することが難しくなる。そんな風にして読んでいると段々時系列が乱れてしまう。想像と誤解は紙一重で、本書の書き方はその境界線を常に漂っていた。わたしは時折疲れを感じてしまったが、一般的なエンタメ小説に比べると分量は少ないので、問題はなかった。ただ、自分の物語に対する解釈が不確かになってしまったので、そこから自分の思考への発展が上手くいかなかった。
その点でいうと本書は実に不思議な小説で、結局のところ、何に着眼点が置かれていて、何を伝えたかったのかは不明瞭である。震災にLGBT、岩手の自然の素晴らしさ……。このような多様な要素を引き付ける主人公に興味がわく。これだけ多様なテーマの中で生きているのに、彼自身は世間と距離を取って生きているように思う。これは出向という経験をもってして備え付けられた彼の性向なのか? それとも彼自身が以前から備えていた性向なのか。日浅の過去の友人付き合いに特徴があると彼の父親が語っている。それを見たときにわたしは、主人公こそ、そのような人付き合いをするタイプではないかと思った。だからこそ、数少ない自分の懇意にしている存在に対しては熱を注いだりする。日浅の消息を辿るために以前行きつけだった居酒屋を訪れるシーン(シーンというほどではないかもしれないが)思った。自分にとって近しいものに離れられるのは誰にだって苦しいことなのだ。主人公はその対象を絞っているようにも思える。