この物語は現実世界の延長線上に存在する。何の変哲もない成人男性が、気が付くと見知らぬ島に流れ着いていて、体が縛られている。しかも、胸の上には人間と言葉を交わせる猫が鎮座しているのだ。しかも彼の語るところによると、彼の暮らす国は鉄国の兵士によって占領されてしまったらしい。わたしが、この男性の立場であれば、自分の頭が狂ってしまったのかと思うだろう。少なくとも冷静ではいられない。伊坂作品の登場人物の特徴として現状を受け入れる柔軟性があげられると思う。そうでなければ物語が進まないのかもしれないが、それはもしかすると人間として備えた特性の中でも、特に強いものではないだろうか。
本書には大きなトリックがいくつか存在する。結末がどうなるのかは小さな頃から物語に触れている人間であれば簡単に思いついてしまったのではないだろうか? 一方で鉄国の兵士たちが仕掛けたいくつかのトリックは、そう簡単に見破れない面白い仕掛けになっていた。また猫たちの気ままな暮らしぶりと逼迫する小さな町の人間たちの心情に違いがありすぎるのだが、それが逆に読み手の興味をそそる。たぶん読み手に焦りの感情を生み出してくれるのだろう。それくらい猫たちは気ままなのだが、それがまた愛らしくて良かった。だから猫に対して苛立ちが生まれるわけでもない。
さて、人間の戦争が本書の主なトピックとして設定されていたが、同時に猫と鼠の会話も面白かった。特にわたしが興味を抱いたのが、本能のままに鼠を追いかけている猫たちに対して、説得を図る鼠の主張だ。最初は、トム君を罠にかけて交換条件として鼠の安全を主張していたのに、その後は被害にあう鼠を提供するからそれで手を打とうと持ち掛けるのだ。もちろん猫たちはその提案に困ってしまう。彼らは気が付くと鼠を追いかけてしまっているだけなのだから、生贄を差し出されてもどうしようもなかったのだ。この構図からわたしが思ったのは、わたしたちによる勝手な思い込みの数々だ。いつから食べられている側は弱者サイドに立っていると決め付けるようになったのだろうか。そして弱いものは、強いものがそうする理由を勝手に想像してはいないだろうか。例えばいじめがあったとして、そこに明確な理由なんてあるのだろうか。目の前の人間にイライラするのに理由が先行していると明言できるだろうか。わたしたちは思考することができる。時折、立ち止まって自分たちの振る舞いについて考えなければならないのではないのだろうか。
○読後のおすすめ
戦争に参加する末端の兵士には高位のイデオロギーは存在しなかったのかもしれない。著者の親族による体験が反映された作品。わたしたちの身近な生活に置き換えできる考えもあるのではないか。