グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
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スコット フィッツジェラルド 中央公論新社 2006-11-01
村上春樹の小説やエッセイを読んでいると、否が応でも記憶の片隅に、この小説のタイトルを刻むことになるのではないだろうか。村上春樹が本書をべた褒めするので、「じゃあ、そんなに言うなら」という気持ちで本書をほしいものリストに加え、気がつけば買いたいという衝動に繋がり購入に至った。
さて、実際に本書を読み始めて私が思ったことは、「とても読みにくい小説だ」ということである。日本人の会話のテンポ感と全くズレていることが大きな原因であると思う。日本人のように丁寧な流れで会話が進んでいない。アメリカのドラマで見るような特有の言葉づかいもあって、彼らが意図したことが上手く汲み取れないことが頻繁にあった。読み進めていくうちに背景が読み取れるようになって、なんとなく行間に含まれている意味合いがわかってくるとスラスラと読み進めることができた。
このようにして理解したことの一つに彼らの楽観主義的な生活態度がある。私は、そこまで歴史に詳しくないし、ましてやアメリカの東部と西部の違いについても何となくの知識でしかしらない。そんなことを知らなくても読み進める問題にはならない。それだけ本書の文章が優れているのだと思う。登場人物の背景をさりげない会話や人の動きで説明している。それぞれにくっきりとしたキャラクターの輪郭が備わっているのだ。そこに村上春樹は惹かれたのだろうか、と思った。なにせ村上春樹は、最新作で明らかにグレート・ギャツビーを物語のモチーフに使っている。あれだけ絶賛する小説を自分の小説のモチーフに使うのには、どれだけの勇気が必要だったのだろうか。それとも村上春樹らしく、あくまでも自然にネタが脳裏をかすめただけであって、意図的にグレート・ギャツビーを模倣したわけではないと言うのだろうか。もしも、彼と話すことがあるのであれば、その時の思いを聞いてみたいと思った。
さて、私が本書を読んでいて唯一腑に落ちない、というか、疑問に思った箇所がある。それは、主人公とギャツビーの距離感だ。最終的に彼の死を深く悼む主人公だが、最初から彼と親しい関係であったわけではない。あくまでもリッチな隣人でしかなく、むしろ迷惑なお願いを持ちかけてくることもあった彼は、距離をとりたい人間になる可能性だって十分にあったはずだ。それでも彼らの距離が異様に近づいたのは、なぜなのか。ギャツビーが秘密を共有したから? 主人公の近くにいる人間に対する失望が募った結果? どちらにもとれるし、どちらでもないような気もする。ちょっとした気持ちの機微が積み重なって生じた事件が、主人公の人を見る目を大きく変えてしまったことは確かだろう。
○読後のおすすめ
グレート・ギャツビーの設定がモチーフにされているであろう村上春樹の最新作。ラノベのようなタイトルとは裏腹に人の深層心理の奥深くを覗き込むような物語が用意されていて、意表をつかれたような感覚に陥った。そして、なによりも面白い。