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何もかも憂鬱な夜に(中村文則)の書評・感想

 本書を読んで、自分の中にある倫理観や価値観で、「この本の死刑に対する考え方は……」と論を急がないでほしい。僕は本書の価値はそこに留まらないと思うし、中村文則の小説は自分の世界観を広げてくれるところに価値があると判断しているからだ。

 本書には光と影を表す人物や出来事がいくつも出てくる。光を現すのが恵子や施設長だろう。闇は主人公が刑務官として関わる描写や過去との対峙で表出する。面白いのは死刑が待望されている山井を光側で描写しているように思える点だ。ここには中村文則が作中でも言及している『ラベリング効果』に対する意見が強く影響しているのではないかと思う。

 ラベリング効果とは何も犯罪者に対して使われる言葉ではない。例えば鬱病患者に大して、「きみは心が弱いから表舞台は避けたほうがいい」と誰かが言及することで、その患者が「自分は表舞台が合わないのか」と解釈し、その人達の言葉に沿ったような人間に無意識的になろうとしてしまうことを指す。山井はもちろん主人公もこのラベリング効果に悩まされる人間だ。特に主人公は真下の言動や過去の不明瞭な記憶から潜在意識の中で暴力への欲求が高まっていく。

 主人公は山井に大して自分の想いをぶつけ、恵子に対しても「作品への価値」について語る。もちろん人からの意見が作品の善し悪しを決めるのではない、という意見は人間に対しても当てはまる。社会では支持されない意見は、お金を生まないだろうし、その点で言えば主人公の意見とは矛盾する(当たり前だけど作品と仕事上の案件なんかは別物だからだ)。しかし、その考えを作品に持ち込むこと、その作品を支持する人を避難することに繋げることは断じてならない。当たり前の考えだと思うのだけど、僕自身もたまに社会に酔ってしまった結果そのような意見をしてしまうときがある。やはり小説で得られる多様な考えは僕が生きていくうえで、とても大事なものみたいだ。

 

 本書のタイトルは「何もかも憂鬱な夜に」だが、僕は朝がとても苦手で憂鬱な気持ちになる割合は朝のほうがダントツで多い。体が言うことを聞かず、腹痛や吐き気がこみ上げてくることもあった。無駄なぐらいに先読みをしてしまう自分はその後待ち構えている憂鬱な出来事に辟易してしまうのだ(主に仕事だけど)。たまにそのまま立ち上がれない日がある。というか実際にあった。その度に苦しい思いをして、時間をかけて立ちあがっていたのだが、本当に苦しかったときに一度母親に電話をかけたことがある。自分でも驚くぐらい自然に涙が溢れてきた。変なプライドがなくなって、隠していた言葉が次々と口から飛び出した。僕に必要だったのは適度な休息以上に本音を共有できる人間だったのだと思った。今はいくつかの友人が僕にとってそのような存在になってくれている。中村文則は作品の最後で「共に生きよう」と提案する。その言葉の意味を小説や友人との繋がりの中で僕は再確認する。

 

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

 

 

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