職業としての小説家(村上春樹)の書評
村上春樹が職業的な小説家になってから三十年以上の月日が経過している。
これは僕が生きてきた年月を有に超している。これだけ長い年月の中で、なんとなくだけど自由奔放に、思うがままに、小説を執筆してきたイメージのある村上春樹が、どのような思いで小説と向き合ってきたのかを知るいいきっかけになる本だと思う。
僕が村上春樹の作品を初めて手にしたのは、中学か高校の頃だ。作品は「ノルウェイの森」言わずと知れた村上春樹のヒット作だが、当時の僕には全く内容が理解できなかった。純文学とエンタメとの違いも理解していない僕が、あの作品に抱いた印象は「なんで大学で戦争してるの?」や「たまにエロい」ぐらいで、とんだ色ボケ野郎である。それでもよく分からない、言葉にできない魅力を感じたのもその時だ。
本書では村上春樹が作家として感じてきたことや、自身で設けている基準のようなものについて述べている。基本的に村上春樹は自己の想いが強く、自分自身で明確な基準を持っている人間だと思う。
作風からか国内では絶賛と批判を同時に受けることも多く、一時は悪意のある言葉に心を痛めたことも記されている。村上春樹自身は自分の好きなように書いているのだから、批判があるのは当然だろうと解釈している。一方で心を痛めた経験があることも記しているのだ。一見相反する言葉のように思えた。しかし、村上春樹の執筆スタイルの記述を読んでいるうちに少しだけど、なぜ村上春樹が心を痛めているのかが分かったような気がする。
村上春樹は作品に自己を投影させている。もちろんありのままの自分を全て投影させているわけではないだろうし、キャラクタの動き出す感覚に身を委ねることも、記述されている。だが、村上春樹の作品は人の内的な部分、奥深くに潜む僅かな動きを捉えるようなものが多く(勝手なイメージだけど)、村上春樹自身がそうやって生み出したキャラクタや作品を、無責任な批判で評価されてしまうことに嫌気が差すのは当然だろう。僕の身近にも全く読んでいないのに、村上春樹の作品を批判する人はたくさんいる。村上春樹を擁護したいとか、そういうわけではなく、そんなものは勘弁したい。私が勤める企業にはそんなのばっかりだ。
本書はあくまでも村上春樹が小説家として意識してきたことが書かれている。小説家になるために本書を手にとって……というのは少しズレているような気がする。でも、本書から得られることはたくさんあると僕は思う。
例えば村上春樹が批判され続けてきたことや、思うがままに小説を執筆していることを上述したが、村上春樹自身はとてもファンのことを大切にしていることが、本書から読み取れた。その大切の仕方はなんかズレている部分がるような気がするし、いかにも村上春樹っぽい口調で語られているのだが、それに僕はホッとした。なんだか村上春樹の作品を読みたくなるエッセイだった。