第三の時効(横山秀夫)の書評
職場の先輩から唐突に第三の時効という小説を紹介された。
横山秀夫の本は何冊か読んでいたし、第三の時効を読むことにも躊躇いはなかった。そのためすぐに購入し読むことにした。職場で小説の話ができる!と実感できたことも僕の背中を押してくれた。
横山秀夫の小説を読むといつも実感させられる事がある。
それは文章の上手さである。僕に本書を紹介してくれた先輩は、それを記者出身であるからと言っていた。僕もそれは思う。が、記者として培った事実を端的に表現する力と、その中で揺れる人の心情をしっかりと表現しようとする文章に良さがあるのだと僕は思っている。記者だったから文章が上手いというわけではない。小説家として横山秀夫が人と向き合った経験が文章に表れているのだ。
本書にも上述の良さはしっかりと詰め込まれている。読み始めればその良さは嫌でも実感することができるだろう。
本書はカテゴリとしてはミステリーに属していて、捜査一課に属する三つの班が事件と向き合う描写を短篇で描いている。そのためいくつかのトリックや事件の動機といったところを読者も考えさせられることになる。そのトリック自体は実はそんなに難しいものではない、と僕は思う。読んでいればなんとなく思い浮かんでくるものがほとんどだった。しかし面白いのだ。読後の爽快感もたまらない。なぜか、と思った。それはやはり人の心理描写をしっかりと描いているからなんだと思った。事件を追いながら人の言動や心理描写をしっかりと言葉にしようとしている。話のテンポだけを追っていては求めることができないものが本書にはあるのだ。
一方で記者として警察組織や世の中の劣悪な事件と向き合ってきた横山秀夫の書く小説には底知れない冷たさがつきまとっている。淡々とした文章であることもその印象を強めているのかもしれない。が、それ以上に横山秀夫は彼にそう感じさせるような何かと記者の仕事を通して向き合ってきた過去があるのだろう。紙面でそれを受け取る僕たちには分からないような漠然とした冷たい恐怖だ。横山秀夫はそれをしっかりと描こうとしているような気がする。あくまで気がするだけなんだけれど。
しかし、それを小説で描くのは結構勇気がいることだと思う。警察は市民が頼りにしたい存在だし、辛い事件をもとに社会に何かを訴えるような側面すら持ち合わせる横山秀夫の小説は、読み手に社会への不安や恐怖を与える可能性だってあるはずだ。それでも彼が書き続けるのは人に対する信頼があるからだと思っている。本書でもそれが随所で感じられた。僕はそれを読むととてもホッとするのだ。