モダンタイムス(伊坂幸太郎)を読んだ感想
人は大きなシステムの中にいる。
それは世界であったり、国家であったり、会社や学校であったり。大きな枠組の中に、またいくつかのシステムが存在しているのだから、それらは、無数に存在しているといえる。
このシステムの役割や意義について、考える作家は数多くいるだろう。その一人が伊坂幸太郎で、彼が生み出した作品の一つがモダンタイムスだ。
本書はかなり政治色が強い。
彼の代表作である「ゴールデンスランバー」と同時期に作られた作品であり、毛色も似ているように感じるが、本書の方がより攻めているような気がする。それは物語内で主人公が、幾度となくシステム側に対して攻勢を仕掛けているからだろう。
冒頭で人は何らかのシステムに属していると明言した。これは本書の言葉を借りたもので、もう少し噛み砕いた表現をするのならば、「人は何らかのコミュニティに属している」と言い換えるのだろうか。
私も数多くのコミュニティに属している。ぱっと思いつくだけでも、会社や同期、家族、親族、卒業生○○年度、現住所の……、と終わりがない。その無数のコミュニティの中で私たちは、知ってか知らずか、それらに対する貢献をしながら生きている。
特に僕が意識してしまうのが、「会社」である。
民間企業で働いている僕は、常に利益の追求のために、働くことを命じられている。もちろんそれに対する成果をもらって暮らしているのだが、BtoBで直にエンドユーザのリアクションを知る機会が限られている僕には、今やっていることがどれだけ大切なことなのかが分からないことが多々ある。
そのようなもやもやとした想いを抱えている人間は僕だけではないだろう。
会社と会社が生み出した事業を細分化したものの一端を僕は担っている。妙な約束事に縛られて、思うように働けないことがあったり、何の障害もなく働いていても、これが一体何の役に立つのかがわからない。
Mr.Childrenは「彩り」という曲で、小さな仕事から数多くの人間の笑顔が生まれていることを、実に幸福に歌い上げている。
僕はこの曲が大好きなのだが、本当にこのような幸福を感じ取れる瞬間は、まあ滅多にない。同僚が円滑に仕事を進められたと喜んでいることに、自分も喜ぶような瞬間ならよくあるのだが。
本書で伊坂幸太郎は(というよりも主人公たちは)、目の前のことだけに集中することを選択している。中でも主人公は、大きなもの無視することを決めている。一方で、五反田のように抗い続けるものも存在している。
おそらくコミュニティにおいて、どの人間も欠かせない存在なのだろうと思う。どの存在が欠けてもそのコミュニティは退化してしまうからだ。
じゃあ結局、人は自分の大切にするべきものを大切にしながら生きるしかないのではないだろうか。自分が「これだ!」と信じられるものを軸に自分が何をしたいのかを理解することができるのなら。主人公の生き方や、五反田の生き方が、自分の生き方として反映されるのではないだろうか。僕は「サラバ!」でそれを学んでいる。