本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

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無垢の領域(桜木紫乃)を読んだ感想[書評]

 無垢という言葉の響きがもたらす印象にはどのようなものがあるのだろうか。

 僕がいつも思い浮かべるのは、ひたむきに笑顔で親を見つめる赤ちゃんの姿だ。おそらく「純粋無垢」という言葉が念頭にあるのだろう。そして、その言葉が頻繁に使われる対象が赤ちゃんなんだと思う。きっと「純粋無垢」という言葉に、僕たちは「汚れのない」といった意味だけではなく「かわいい」とか「愛らしい」といった意味合いを無意識的に含ませているんだと思う。

 桜木紫乃は僕が思い浮かべる「無垢」の印象を変えてくれた。

 

無垢の領域 (新潮文庫)

無垢の領域 (新潮文庫)

 

  本書は桜木紫乃お得意の北海道が舞台になっている作品だ。直木賞受賞後、初めての作品ということもあって注目を集めていたみたいだ。

 直木賞受賞後は「書き続けることができるのかどうか」が不安になりそうに思えるのだが、桜木紫乃は本書にネタを余すことなくつぎ込んでいる。色んなネタがつぎ込まれた本書の内容からは多少なりとも飽和状態であることを感じさせてしまうのだが、特にそれが問題だとは思わなかった。きっと日常なんてものはそういうものだからである。いくつもの出来事が断片的に僕たちを大気のように包んで離さない。僕たちはそれを気にしないようにするしかないのだと思う。

 本書はいくつもの断片的な出来事が次々と発生する。その出来事をいくつもの視点で見ることになる。いくつもの視点で見ても結果的になぞっていることは同じようなことなので多少リズムが悪くなることと、重厚的な文章から、少し疲れてしまうきらいはあるだろう。本書は読み手を選ぶ。僕は一日に読む量を制限することでなんとか最後まで読み終えた恰好だ。

 いくつもの出来事が発生するから人によって、気になった箇所や好みの文は変わってくるのだろう。

 僕は最後の林原と龍生とのやり取りが印象に残っている。

 人によっては驚く仕掛けに左胸の鼓動を早めて、いくらか文章を読みなおしたかもしれない。どこで何が起こっているのかを改めて確認したくなる要素があるからだ。

 僕は特に読み返すことはなかった。正直、展開自体はある程度、想像することができたからだ。ただ、そこで起こる内面の変化や行動に面白みがあった。それが林原と龍生が最後にパーティーで行うやり取りだ。

 林原はパーティーへの急な出席を決めて、龍生が行った不正に気づいていることを何も知らないような素振りで打ち明ける。龍生と母はその言葉に絶句してしまう。龍生と母は自分の不正をどうにか正当化しようとしている。自分の才能は書を見ることにあると改めて気づき、言葉にしないでいても親子で、不正の沼に身を沈める。林原はその事実に気づき、純香の残された作品を二人に手渡す。その作品が無ければ二人の不正を暴くことはできないのに、だ。たぶん林原は二人の不正に気づいている素振りを見せることで、龍生に対しての優越感を抱きたかったのではなかろうか。林原はそれほどまでに怜子を愛していたんだと僕は思った。そして最後に「何をしていたのか」「純香の死をどこかで望んでいなかったか」と自問自答して物語は収束を迎える。

 この一連の行動を人はずる賢い大人の行動と評するのかもしれない。だがしかし、これこそが桜木紫乃の伝えたかった無垢の領域なのではないだろうか。大人は常に何かを意識することが重要になってくる。すると純香のような無意識の行動や問いは身を潜めるようになる。しかし林原は無意識的にずる賢い手ような手をつかって、最後にどんな意味を持つのかもイマイチ分からないような行動をとった。それこそが大人の持つ無垢の領域なのではなかろうか。

 

 僕たちは誰だって無意識的な行動をとることがある。人はそれを客観的に見ることができることもあれば、見ることができないこともある。林原は最後にそのような自分の行動を振り返って、自問自答の深い沼に沈んでいった。このような無垢の領域は誰しもが抱える人への愛や憎しみによって表現されるのかもしれない。

 

無垢の領域 (新潮文庫)

無垢の領域 (新潮文庫)