バイバイ、ブラックバード(伊坂幸太郎)を読んだ感想[レビュー]
バイバイ、ブラックバード(伊坂幸太郎)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。
※ネタバレを含む可能性があります。
久しぶりに伊坂作品を読みましたが、かなり面白かったです! 傑作でしょう!
かなりスロースタートのように思えましたが、それは連続短篇という作品形態をとるにあたって、一番最初に読む作品が基準点になるため、最も基準点寄りのキャラ設定なんかを意識しているからみたいですね。
Ⅰ話ではやけに他人のラーメンを一気食いする描写だけ力が入っているように思えたのは、伊坂幸太郎がそのシーンを描きたかったからなんでしょうね(笑) 解説の後に付録のような形であるインタビューにもそのことが述べられています。
僕は個人的にⅡ、Ⅳ、Ⅴ、それに文庫本に収録されているⅥの話が大好きです。これらの話は伊坂幸太郎の思い入れもかなり強いように思えます。というか文章のノリが全然違う。本人が気づいているのかは分からないですが、かなり楽しんで執筆していることが伺える文章だとおもいます。
本書は太宰治の「グッド・バイ」のオマージュ作品です。僕はそれを読んだことが無いのですが、どちらも読んでみた方が楽しめるのかもしれないですね。もちろん、本書だけでも充分に楽しめる作品ですし、傑作だと思っております。
本書は普段、伊坂幸太郎が小説にしたいと思っている要素を詰め込んだものだとおもいます。小説なんてそんなもん、と言われたらオシマイなのですが、本書で使われている要素はそれよりももっと日常的に思えるものばかりです。それらが繭美という化物みたいな女によって異化されて、不思議な感覚を演出しています。それがとてもいい。
本書は星野くんが別れを告げて回る物語であると同時に、繭美の成長小説でもあります。感情欠損していると思われた繭美には、実は色んな過去があって(それは明らかにされないが)、いろんなことを考えている。その一つが星野への同情だったり、愛情に変わるわけです。結局は星野くんが愛した女を馬鹿にしていた繭美も、彼と行動を共にすることで、その魅力に気がついてしまっているのが面白いポイントです。
ただ、繭美も星野も、今このような行動を取るのは過去に喪失体験をしているからだ、という病理的に過去を描くところがあまり好みではありません。本書にそのシーンはいらないような気がしました。伊坂幸太郎はそれを必要ないけど、ないと気にする人がいたり、話の繋がりがよくなる、という理由でつけているそうです。
僕のイメージでは大物作家ほど、選評とかでそういう病理的なものに囚われているイメージがあります。が、そのように書きすぎると読者の目がそのようにばかり働いてしまう。僕は小説でステレオタイプを消すことが好きです。多様な価値観を育むことが出来るのは、小説の良い点です。しかし今は、病理的に人の過去を見ることに慣れすぎているように思えます。実は臨床の世界では病理的に過去を見ることは、教養であって、義務ではないのです。あくまでも問題を解決することが大切。もちろんそれとこれとは別なのですが、全てに何らかの問題となる過去がある(主人公の思いつく原因がある)必要はないと思うので、削るポイントは小説家の力の見せ所でもあるわけだな、と思いました。