何者(朝井リョウ) 就活に留まらない世界観を描く小説[レビュー]
何者(朝井リョウ)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。
朝井リョウの作品を読んだのは本書で二作目です。以前に読んだのは「水曜日の南階段はきれい」という作品で、偶然にも本書に出てくる同居人のコータローの高校時代を綴った物語になっていて、直線的なつながりもあります。読んでいてよかった。
私は朝井リョウの作品を、そして「何者」を少し避けていました。なぜか。それは朝井リョウが自分と近い世代の人間であること。そして「何者」が就職活動について描いた小説であるからです。
朝井リョウはその若さを活かしたストーリー構築とそこに潜む内面の吐露に定評のある小説家だと考えています。その小説を読むことで、私の生活に生きづらさが生じるのではないだろうか、と思ったのです。私の日常に朝井リョウが疑問符をうって、それを見事にキャッチした場合、自分はどうなってしまうんだろう、と考えたら怖かった。「何者」もそうです。苦労した就職活動の思い出を掘り返して、誰もが経験したことのあるやり取りや苦労を詰め込んだ小説を読むことで、過去に後悔を発生させるのではないか。そんなもの読む必要なんであるのか? と私は思い、避けてきました。
結果論として、同世代はもちろん、他の世代の方にも読んでいただきたい名作に仕上がっていると思います。直木賞を受賞したのも納得です。
本書はただ単に就活の裏側を描いている小説ではありません。かなり綿密な構成に支えられている小説です。トリックというほどではないけれども、驚くような仕掛けもあって読み応えもあります。ラストシーンでのやり取りは自分が問いつめられているような気持ちになりました。もしかすると、他の読者は他のキャラに感情移入して本書を読んでいるかもしれないですね。その点でも色々話せると思います。
答えがないのに、そのなかを必死に模索して、自分を何者であるのか表現する瞬間は就活以外にはそうそう見当たらないイベントなのかもしれない。一方で、その一つのイベントが今後の舵取りを大きく左右しているわけです。だから就活生は必死になる。必死になるけども今までこのような経験がないからこそ、尚更迷う。迷って生まれた自分の正体が本当の自分であることに気がつく人もいれば、自分を大きく偽って社会に出る人たちもいる。どっちが正しいのかなんて分からないけれども、自分に正直になることが大切なのかな、と私は思いました。それが一番むずかしいということは誰しもが知っているし、本書を読んだ人は痛切に感じているのだろうが。