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『火星に住むつもりかい?』仙台で起こる壮大な物語[レビュー]

 

『火星に住むつもりかい?』を読了したので、その感想を投稿したいと思います。

 

火星に住むつもりかい?

火星に住むつもりかい?

 

 ↑あらすじや商品紹介は上記から閲覧できます

 

 いやあ!面白かった!

 実際に本書を読む前は、「伊坂幸太郎も本格的なSF作品を手掛けるよになったのか」と驚きに近いような感情があり、また、楽しみなような、何だか読むのが不安になるような、なんとも言えない気持ちを同時に抱えていました。

 実験的にSFに挑戦する伊坂幸太郎の作品が、もしも面白くなかったら!なんて、いらぬ心配をしていたのです、、、そもそも伊坂幸太郎は毎度毎度、新しい挑戦をしていると思うのです。本当に無駄な心配でした。おもしろいのですから。

 

 もしかすると、本書を読んだ一部の方は、「これはゴールデンスランバーを改変した話だ」との声が出る(出ている)のではないでしょうか?

 これにかんしては、私はそう思った部分もあるし、特に気にしなかった部分も多分にありました。警察を敵方として捉えている描写が多いので、そう思われる方がいらっしゃいるんだと思いますが、本書には全く違うおもしろさや価値観が溢れています。

bookyomukoto.hatenablog.com

 ゴールデンスランバーでは、犯人に仕立てられた青柳雅春と警察組織、そして、それを見届けたり、興味を持たなかったりする一般人という構図が存在していました。

今回はストーリー上における明確な主人公は存在していません。

 構図としては、平和警察とその存在に危機感を抱く市民、そして、平和警察に対して危険認識を抱いている警察内部の人間という構図が見えます。もちろん、一般人の存在もありますね。

 なんだかごちゃごちゃしていますね。これのせいもあって、読み始めはなんだか世界観に入りにくかったのも事実です。ただ、この構図は個人的にとても好きです。小説として、許容範囲の中で、ごちゃごちゃしている感じがでします。実際の社会って、もっとごちゃごちゃしていて、「何が原因で、何が結果なのか」なんて全く分からないんです。これが普通。その中で問題をどう解決するのかが、大切なんです。

 それなのに、多くの人間は「問題の根本を明確に決定することができる」と思っているのではないか、と思うんです。もちろん全ての人がそうだとは断定しません!でも、そういう人が多いんです。

 

 例えば、「親に対して反発を繰り返す子ども」がいるとします。

子ども=反発

母親=ガミガミ怒る

父親=放任主義

 この場合の原因と結果は何なんでしょうか。「最初に行われたことが原因!」なんて言われても、たぶん分からないです。最初の行動が何かなんて、しかも、その最初の行動自体を発生させた小さな原因が見つかるかも。

 上記の例も、母親のせいで子どもが反発するのか、父親が放任だから母親がガミガミ怒るのか、など、何が何やらなんて分かりません。本人でもわからないんでしょうから、端から見るとなおさらです。

 

 かなり脱線しましたが、本書で描かれている問題も、端から見ると何がなんだかで、何が原因かなんて明確に分からないんです。

 

 個人的にお笑いキャラにしか見えなかった刑事部長が最終的にキャラ変するところが好きです。あんなに愛嬌のあったキャラが、大きな計画の主軸を担う人物だったなんて。そして、どれだけキャラが変わろうが、あの愛嬌を思い出すと、何だかいいやつに思えてくるんです。これも、以前のイメージを読後も抱き続けていることで、彼に対する特殊なイメージを抱く結果に繋がっていて、市民が何の疑いもなく死刑現場を見ている様と大差ない部分が自分にも備わっているのでは?と自身の胸のうちに不安が生じたりもしました。

 何となく、流れていく出来事に対して、少しでも「コレってなんだ?どういうことなんだ?」と疑う心があれば、、、その結果信じたことが後にダメだったとしても、それはそれで仕方ないし、良いのではないか、と思うんです。とにかく自分の頭で考えないとなあ、流されるだけではいけないな、と思いました。

 

 そういえば3652: 伊坂幸太郎エッセイ集 (新潮文庫)というエッセイを読んでいると、伊坂幸太郎カミュの異邦人で描かれている「理由なき殺人」には、理由があるのではないかと疑問が生じた、と述べていました。

 その人に対する殺意はない=理由がない

ではなく、他にもその人の人生を振り返ると、その理由となりうる要素が見えてくるというものです。

 今では、この考え方も浸透してきていますが、全てをこれで解決しようとする人が増えてきているのも問題です。例えば、一般的にオタクと言われるような人が起こした事件とか、、、うーん。

 本書に登場する久慈羊介も、理由は明確には分からないと述べていて、伊坂幸太郎が以前にエッセイで述べていた考え方が、ここに表れているのかなあ、なんて思いました。

 

 本書は様々なことを考えさせられる側面を持っていると思うので、他にもいろんなことを考えた方がいらっしゃると思います。

 個人的にも支離滅裂ながら、長々と語るポイントがございました。

 でも、やっぱり、最後に思い返すのは、身体でボールを受ける練習をする刑事部長のシュールさなんだよなあ。面白すぎませんか?伊坂さん?

 

 

火星に住むつもりかい?

火星に住むつもりかい?