光(道尾秀介)を読む。目を背けない強さ。[レビュー]
光(道尾秀介)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。
*簡単あらすじ
小学校4年生の利一が友人たちと体験したエピソードをおおよそ四季の変化に合わせて描いている長編小説です。子どもが体験する特別な時間や空間を体験することができます。
また、本編とは字体の違う語りが存在しており、本編の進行と合わせて楽しむことができました。
私は本作で初めて道尾秀介の作品に触れました。
なんとなく新潮ミステリー大賞の審査員を見ていると、伊坂幸太郎と共に道尾秀介の名前が記載されていたことがきっかけです。そのまま本屋に向かうと夏ごろに文庫化された本作「光」が平積みにされていたので、購入しました。
本編にも登場していますが、アンモナイトの絵がキレイな表紙は、ここ最近購入した本の中でもお気に入りの部類に属します。私も子どもの頃はアンモナイトの化石を集めていたので、本書を読み進めるうちにとても懐かしい気持ちになりました。
どれだけ同じような風景が用意されていても、目線や好奇心の度合いが今とは違いすぎるので、あの頃のようなワクワクには近づけないんだろうなあ。もちろん、今は今なりのワクワクするものがあって、私たちはそれを大切にすべきなんでしょうね。
そういえば!この小説ではいくつかの謎?が提示されていますね。
字体の違う二人の語り手については文中にほぼ答えが記されていますね。
「私」=「利一」 「わたし」=悦子 ですね。字体の太い部分が後者です。
後は冒頭にある一節の著者ですよね。「市里修太」は利一です。おそらく、利一とペットのダッシュを変化させて、名前に使っていますね。冒頭のわずかな一節なので、簡単に忘れてしまいがちですよね(私も忘れていました)。最後に悦子の語りを読んでいて、あれ?ってなる人が多いのかな。
その他の謎はトリックというほどではないにしても、楽しんで読むことができました。
個人的には、最初のカメラの設定で、赤い血が流れている瞬間を撮影したように写ってしまっていた、というパートが好きでした。全体的に色彩を意識しながら読むことができたので、その街の風景を想像したし、カメラにも興味を持ちました。「自分の街も写真に撮ってみようかなあ」と思い、早速行動に移したりもしました(笑)
その話(夏の光)の中では、清孝がもつ強さに利一が憧れのようなものを抱きます。大人でも「こいつ、いつの間にか成長したな」という瞬間はありますが、子どもってより顕著ですよね。後に清隆が変わったきっかけもキュウリー夫人の語りによって明らかになっていますが、人はどのような年齢にあっても、その人にあった山(危機)を乗り越えたときに、強くなることができるんだなあ、と再確認させられたエピソードです。
「子どもなんだから!」ではなく、「その人にあったもの」が大切なんだと感じた作品でした。その際には悦子が言うように、決して目を背けないことをその人に伝えることができる人間になりたいです。