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陽気なギャングは三つ数えろ(伊坂幸太郎)を読了したので、感想や書評[レビュー]

  陽気なギャングは三つ数えろ(伊坂幸太郎)を読了したので、その感想を投稿したいと思います。

 

 

*あらすじ

陽気なギャング一味の天才スリ久遠は、消えたアイドル宝島沙耶を追う火尻を、暴漢から救う。だが彼は、事件被害者のプライバシーをもネタにするハイエナ記者だった。正体に気づかれたギャングたちの身辺で、当たり屋、痴漢冤罪などのトラブルが頻発。蛇蝎のごとき強敵の不気味な連続攻撃で、人間嘘発見器成瀬ら面々は断崖に追いつめられた! 必死に火尻の急所を探る四人組に、やがて絶体絶命のカウントダウンが!

 

 陽気なギャングシリーズ9年ぶりの新作です。

 銀行強盗の成功率も年々難しくなっているようなご時世なんで、このシリーズが再び発表されることは正直無いもんなんだと思っていました。こうして、大好きなシリーズを再び読むことができて良かったです。

 

 内容やパターンは例のごとく、いつもの4人組が事件に巻き込まれる→解決へ、となっています。

 ちなみに今回も銀行強盗やってます!申し訳程度に感じましたが(笑)

 成瀬も文中で今後の銀行強盗続行への不安を露わにしていたので、次回作は無い、か、もう既に銀行強盗は引退しているかもしれませんね。

 

 今回は前回のように短編を混じえているわけではなく、1つのストーリーをもとに話が展開していきます。個人的には、このシリーズは短編を混じえるよりも、このスタイルの方が読みやすいように思えました。

 また、響野のキャラの良さは前回同様、最高に活かされています。私はこの響野の言動を読むために、このシリーズを購入し続けていると言っても過言ではありません(笑)

 

 今作では、火尻という、いかにもマスコミ悪の象徴的な人物が出てきます。ここからはマスコミの事件の取り上げ方に対する不満や、僅かな媒体や情報から簡単に人の印象や人生の方向性を決めてしまう人(野次馬)に対する作者の危惧が感じ取れました。

 

 人は必ず自分自身の主観で物事を捉えようとします。それを心理の世界では「スキーマ

と呼びます。「スキーマ」とは簡単にまとめると、人がそれぞれに持つ認知的枠組みで、知識の引き出しのようなものです。人が普段通りに何かの物を使ったり、理解したりするのは、このスキーマが働いているからです。例外的に使い方が分からない物が出てきて慌ててしまうのは、スキーマの中にそれに関する知識が無いからとも言えます。

 また、そのスキーマの中には「ステレオタイプ」というものが、かなりの確率で存在しています。「ステレオタイプ」は集団を理解するときのカテゴライズで、社会的にもそう認知されているものを一般的に指しています。よく挙がる例は、アイドルファンにはオタクが多いのようなものですね。実際には、様々なタイプの人がファンとして存在しています。オタクと呼ばれる人ばかりがファンになっているとは限りません。しかし、そのような人は目立つし、話題を集めやすいのでマスコミは取り上げる機会が必然的に多くなります。

 今回出てくる火尻はこれに、もっと強烈な悪意を詰め込んだような人間です。記事のネタができるのなら、その人がどうなろうとも自分には全く関係がないし、簡単に謝れば済む話だと考えています。珍しく成瀬が苛ついている感じが、読者にも緊張感を与えていて良かったと思います。

 実際にこのような記者が多く存在してしまうと、社会に変な、悪意のあるステレオタイプが充満してしまう可能性があります。人は自分が偶然見聞きしたものや情報を、それが全てだと考えてしまう性質があります。もし、それが本当に偶然そこに奇跡的な確率で起こった事だとしてもです。

 一方で、自分の考える事(ステレオタイプ)とは違うものを偶然見た場合、人はそれを例外とみなし、自分が知識として保持しているステレオタイプを修正しようとはしません。

 先ほどのオタクの話で例えるならば、ファッション誌のモデルがアイドルのファンとして熱心な活動をしているとしても、「この人はちょっと変わってるもんな」とか「この人は特殊」だとかで、自分の中の『アイドルファンにはオタクばかり』というステレオタイプを修正するきっかけとはみなさないのです。このようにして社会のステレオタイプは維持形成され続けてしまうのです。

 火尻のような記者の存在は悪質なステレオタイプを世界に蔓延させるきっかけとして機能するという点において極めて悪質です。

 宝島沙耶サイドのグループは、そのきっかけを被害者の周囲に与え、自殺にまで追い込んだ火尻を決して許しませんでした。もちろん情報を発信する側の責任は多大ですが、見る側の情報リテラシーも大切です。「本当に正しい情報?」「操作されてはいないか?」などなど、少しでも疑って情報を得ることが必要でしょう。今時は自分が情報発信者に簡単になれるので、その際の注意も必要なんだろうなあ。

 

 伊坂幸太郎の小説はこういうテーマのようなものを感じる部分がある点においても、私の興味をを惹きつけてくれます。