彼の語りを読んでいるとやきもきした気持ちを抱える読者の方も多いのではないだろうか。例えば、父親の危篤を告げられたとき。彼の語りの部分では、あくまでも毅然とした執事の姿が描かれているが、一方で彼と会話をしている人間は彼の顔色の悪さを間違いなく指摘している。それでも毅然と振る舞うことが彼の品格を保つためのルールで、それらの流れから自分の品格を示したかったのだろうが、普通の人間なら彼の強がりに簡単に気づいてしまうだろう。他にもミス・ケントンや卿とのやり取りで、そのような強がりの形跡が見て取れる。『記憶はねつ造される』という著者の考えが何の違和感もなく文体に馴染んでいて、それが物語に面白さを提供しているのだから驚きだ。
彼の記憶のねつ造が最も良い形で物語として昇華されている部分が桟橋での回想場面だろう。相変わらずミス・ケントンの前で自分の思いを出せないまま別れを迎えてしまった彼は、自分の過去について振り返っている。きっとここで過去を振り返って後悔したような素振りを見せたのは、自分の経験した実態と自分が想像していた過去の自分との間に乖離が発生しているからなのだと思う。所々で彼は自分をよく見せようと取り繕うときがある。村での会話もそうだ。曖昧に外交なんて言葉を使うのは自分を少しでも誇示したいという思いが瞬時に沸き上がったからに違いないと思う。しかし、実態として外交していたのは卿であり、彼はあくまでもそんな彼を信頼したに過ぎない。また、ミス・ケントンへの想いも心の奥底に封印してきた。うまく気持ちを出せなかったのは執事としての責務を全うしたから、彼の語りを聞いているとそんな風に思えるが実態はどうなのだろうか。私は彼の恋愛に奥手な性格自体がそうさせたのだと解釈している。しかし、彼はそう理解していないかもしれない。そんな現実と記憶のギャップが彼に人生の葛藤を生み出しているのだと私は思った。
こうやって記憶のねつ造について書いていて、本当に過去と向き合うのは難しいことだと思う。自分の苦しかったことを喜んで思い出したい人間なんてほとんどいないだろう。私にもそんな過去がいっぱいあって、そのような過去はふとした瞬間に私の心を揺さぶってくる。当時とは環境も大きく変わって今はそんなこと知っている必要もないし開示する必要もない。それでも、そこまで強く脳裏に焼き付けられた記憶は、簡単に私の記憶の抽斗から去ってはくれない。このような記憶のやっかいなところは、当時の状況をうまく反映してくれないことだ。例えば、幼くて無知だったことや自身の心的状態などだ。後々時間をかけて整理すればそんなことも思い出せるのかもしれないが、瞬時に脳裏を過るのは特に自分が嫌だと思った出来事のエッセンスだけだ。だから感情的になるし、咄嗟に誰かにそのことを話せばかなり偏った意見になる。結果的に時間をおいて冷静に分析した意見をその人に改めて話してみても、その人は意見の変わりように頭がついていかないかもしれないし、ただの自己防衛だととらえられてしまうかもしれない。結局その人にとってはそれが全てになる。このように記憶の保持(特に嫌な記憶の保持)に他者が加わると考慮すべき事項がぐっと増える。自分の過去の出来事なのに他者に対してイヤになるぐらい気を使わないといけなくなってしまう。私はこのような悩みが今後も増え続けると考えている。それはクラウドの流行によって記憶媒体が進化し、人生を丸々保存することだって不可能ではなくなりつつあるからだ。自分にとって不都合な記憶が完全なデータとして残る可能性があるのだ。私は常々この状態が怖いと思っていた。もしもこれで自分の過去がデータ化されたとして自分の記憶に乖離があった場合に自分に対する信頼が大きく揺らぐと思うからだ。勘違いだって前に進むための原動力になりうる。私たちは全てを完璧な形で知る必要はないようにも思えるのだが。
さて、主人公は自分が人生の中で「選択」をしていないことをとても悔やんでいるように見える。私はあくまでもひとりの人間を信頼してきただけなのだと……。しかし、これはある意味で彼の選択である。全ての人は何かを選択して生きているのだ。だから彼には胸を張って生きてほしい、そう思った。歴史的な過ちを犯した人間に執事として仕えていたのだとしても、彼の働きには間違いなく品格が宿っていたのだから。
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