本を読むこと-読書から何かを学ぶためのブログ-

読書のプロフェッショナル目指して邁進中。小説からビジネス書まで取り扱うネタバレありの読書ブログです。読書によって人生を救われたので、僕も色んな人を支えたいと思っています。noteでも記事を投稿しています。https://note.mu/tainaka3101/n/naea90cd07340

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起業を考えたら必ず読む本(井上 達也)を読んだ感想・書評

 なんだか成功している事例ばかりだな。起業家の出版している本を読んでいた僕はそう思った。出版社も売上は大事になるのだから、著名でない起業家の本は出版したくないだろうし、成功していないのに著名な起業家なんて世の中にそうはいないだろう。
 本書の著者は成功している起業家に分類される人だ。一方で順風満帆に起業家としての人生を送ってきたわけでもなさそうだ。そんな起業家としての壮絶体験が描かれていたのはとても良かった。強いて言うならそれが数ページの簡単な出来事の描写に留まっていたのは残念だった。その辺りをもっとしっかり描くことができれば、それだけでも一冊書けそうだ。
 その壮絶体験の一つに大手企業との関わりがあった。弄ばれるように利用されて放り投げられた著者は、それ以降で大手企業と関わる際に契約書を作成することを必須としたそうだ。僕自身がわりかし大手の企業で働き、無駄なのでは? と疑問を抱くぐらいの決定書類が用意されている環境を見ていると、著者の経験や判断は大手企業の中では無意識のノウハウとして蓄積されているものなのかもしれない。それが足かせになることもあるのだから組織運営のバランスとは難しい。

 さて、このような著者の経験がいくつも記述されているのだが、改めて「あぁ、そうだよな」と確認させられた事実もある。例えば、マッチングビジネスの難しさだ。webを使ったサービスの代表格であるマッチングビジネスは、先にどちら側を捕まえるのかが難しい。例えば、お店と客を結びつけようとしても、どちらかが不足していると途端にそのサービスの魅力はなくなってしまう。両方が充足している環境を用意しなければそれはサービスとしての価値を発揮できないまま運用費だけがかさんだり、顧客の利用率低下につながってしまうのだ。

 またこんな話もあった。これは著者の知人がコンサル型のビジネスを展開しようとしたときの話だ。彼のビジネスはその能力と改善したい環境によって業務が規定されるため、見積もりを作るのに時間がかかった。すると依頼は来るが受注できない。見積もりの作成に時間を要するので、生産性もどんどん落ちていったそうだ。なるほど、このように見積もりが必要な場合、請け負った仕事と依頼金の例を提示しておくなどの準備が必要なようだ。顧客は欲しいものを買うとは限らない。金銭や時間との兼ね合いが必ず発生する。それを予め考慮できる要素をサイトなどで提示しておくのだ。そうすれば見積もりを作成してから「想像と違う」と言って離れていく顧客候補の人たちを恨む必要もなくなるのだろう。

 このような起業における様々なトラブル要因がいくつも書かれてあった。著者はとても苦労したんだなと読んでいて実感することができる。このような経験があったからこそ現在のビジネスモデルを考えることができたのだろう。顧客を知るためには検証と失敗は欠かせない。そしてそのような経験を記した本を読むことは、それらの学習を促進する効果があると思う。起業や社内ベンチャーに興味のある方には、ぜひご一読いただきたい。

 

○読後のおすすめ

 

海辺のカフカ(村上春樹)を読んだ感想・書評

 以前に海辺のカフカを読んだとき、僕は大学一年生だった。当時の僕は音楽にドハマリしていて、以前は熱心に読んでいた「本」というものをすっかり忘れていたのだが、なんとなく読み返した夏目漱石の小説でかつての熱を取り戻し、大学生協で偶然見つけた本書を手に取ったのだ。僕はすぐに海辺のカフカの奇妙な魅力に夢中になった。田村カフカの十五歳とは思えないような思考レベル。ナカタさんと星野さんが巻き込まれ・巻き起こす出来事の数々。それらがどのような結末を辿るのかと、僕は常にハラハラした気持ちで読んでいた。今でもこのときの感覚や周囲の情景を簡単に思いだ出すことができるのだから不思議なものだ。

 数年ぶりに本書を読んでみて思った感想は「意味がわからない」だ。これは以前に読んだときと何も感想としては変わらない。一方で、拾い上げることができた登場人物の心理描写がかなり増えたような気がしている。「始まりの石」や「高知の森」に関して、当時の僕はさっぱり意味がわからなかったのだが、今はなんとなく分かるようなことがいくつか出てきた。しかし、僕にはこれを言語化することができない。僕の表現力の乏しさや理解の不足が原因だとは思うが、これを安易に言語化することができてしまうのもいかがなものなのだろうか。物語とは本来、いくつもの出来事や要素が絡み合って出来上がるものだ。それを部分的に切り取って「これはこうだね」と平坦に述べてしまうことに何の味気があるというのだろうか。村上春樹の本に関しては特にだけど、いかにも専門家のような語りの人がたくさんいる(僕もたまにブログでやってると思います。すみません)。結局は文章以上のものを創り出すのは読み手の経験や心理状態なのだから、そこは読み手の意志に任せて気ままに読めばいいと思う。もちろんそこで誰かの意見が欲しい、となったときには上述したような意見がとても貴重になるかもしれない。まずは深い意味合いなど考えずに読むことにチャレンジしていただきたい。

 ここで最後に僕が感じたことを一つだけ書いておくと、本書に登場する人物たちは、多くの物事を素直に受け入れているように思える。何かを拒絶しているようでいて、それに対する実際的な拒絶の行動をあまり取っていない。田村カフカが最初に家出という行動をとったことを除いたらほとんどのことは何かの意志が大きな流れをつくっているようで、それにいくつもの登場人物たちが知ってか知らずか乗っているような感覚がする。これまたこれ以上に言語化することが僕にはできないので、非常に悔しい思いをすると同時に、いつかこれを語ることができればと思う。あとは、ナカタさんのように真摯に生きたいなと思った。彼から多くのことを学んだのは星野青年だけではないはずだ。

 

○読後のおすすめ

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